ワグナー・アーベント(マタチッチ/N響)2008/11/14 20:17:26

ようやくタイトルに音盤名の日記が登場。

つまりは、家などの落ち着いた環境で音盤聴いた時にはそうしようと、ブログ開設時から思っていた。
ちなみに「ナイトキャップ」はつまみ聴きが中心、という区分けが一応自分の中にはある(あと酒飲んでるのが大きい要素か?笑)。

75年12月のライヴ、Altus盤。
いやはや凄まじい演奏だった。
生で聴いてたら泣いただろう。

とっつきにくい「パルジファル」が、優しく美しく心と耳に滑り込む。
何という完成度。
「難しい」と思っていた自分を恥じたくなる。

そして続く「指環」からの3曲!
通勤時にも聴いていたので「通勤ミュージック」で書こうかと思ったけど、それでは余りに物足りなくて家でも何度も何度も聴く。
こんなにリピートして聴いた音盤は久しぶり。

「森のささやき」、長閑さといじらしさの奇跡的な共存。
N響がこんなに潤いのある音楽を奏でるなんて!

そして「神々の黄昏」組曲。
音と情念の波に奔流されるばかり。

ボクは「ジークフリートのラインへの旅」が大好きなんだけど、ずっとクナを超える演奏がなかった。
あの悠揚迫らぬ「神目線」の音楽運び。
ブリュンヒルデと愛を歌い交わしても決してテンポを上げず、ライン川を越えるときもそれを保っているから、音が目前に大河となって見える……。

今回のマタチッチの演奏はクナに並んだ。
どっちが良いとか悪いじゃない。
そりゃオケの技量はVPOが上だろう。
N響はライヴということもあって金管がだいぶ落ちているし。
でも、そんなことなんてはっきり言ってどうでもいい。

マタチッチの演奏は、クナの解釈に近いなと感じるところ多いのだけど(確かそういったことを実際語っていたはず)、大きく違うのは「神目線」ではなく「人目線」なところ。

つまり、クナのように「全ての悲劇を前もって知ってる」目線で解釈するわけではないから、そこに雄大さと物語への温かな情愛が透けて見える(ちなみにクナが「冷たい」わけではありませんので誤解ないように)。

さらに「人目線」でもフルトヴェングラーみたいに猛加速して音楽から「神話性」がなくなってしまうのではなく(この汗くささ、ワグナーでは致命的ではと思うんだけど)、人間としての限りない共感をジークフリートたちに寄せつつ、決して無為に没入して乱れることはない。

それがTp.によるジークフリート動機の連呼の加速に息づいている。
クナと違っていわば「普通に」加速するのだけど、それは全然フルトヴェングラーのそれとは意味が違う。
音楽が流れる「呼吸」としての加速であり、物語としての「加速」。

ここを初めて聴いたとき、ホントに騒がしい駅改札口だったのだけど、落ちまくってる金管をものともせず、揺るぎない音像と解釈が聞こえてきて、本当に鳥肌が全身に立った。

やっぱり一本筋が通っているときの演奏解釈における傷なんて、傷ではないんだ。
こう言うのを修正することは、絶対に「改悪」だと思う。

「ジークフリートの死/葬送行進曲/フィナーレ」も同様。
そりゃこれだって、崇高さや金管群の神がかったプレイはクナ/VPOの方が買ってるとは思うけど、何といってもマタチッチ盤はその流れでフィナーレまで突き進むのがいい。

まさにライトモティーフの共演(=競演、饗宴)であるこの曲で、それらが全て「語って」くるその説得力。
ワルキューレの動機、英雄の動機、炎の動機。
そして最後のラインの乙女の歌!! 目が潤むのを感じた。
木管の音程が悪い? んなことどうでもいい。
バイロイトにも引けを取らない(イヤ、勝ってる?)ワグナーが鳴り響いてるんだから。

マタチッチの「指環」全曲って録音残ってないのかなぁ……。