千夜一夜、もっと(その1)。2009/02/01 17:21:54

ストコフスキー/RPO盤に影響され、「シェヘラザード」を聴き直すキャンペーン(笑)展開中。

ちなみにストコフスキー/RPOを除く手持ちは
・デュトワ/モントリオールso
・カラヤン/BPO
・ムーティ/PhO
・ロストロポーヴィッチ/パリo
・ストコフスキー/LSO
・レニー/NYP
ただしムーティ盤は実家にあるのですぐに聴けない。(苦笑
とりあえず「その1」は正統系(?)の2枚から。
改めて聴くといろいろ発見があって楽しい。

・デュトワ/モントリオールso
とにかく声高でなく、極彩色でなく。
ソロもあくまで全体に奉仕する感じ。
前面に出てくる「競演」でなく「共演」タイプか。
そのインティメートな感じに、中間楽章こそ物足りなさを感じるけれど、逆にそれが終楽章では総力による達成感を作り上げている。
あと、全曲を通じての遅めのテンポが、荒れない丁寧な仕上げを支えている。
ホントはこういう音盤こそ「マイ初演」にすべき演奏なのかもしれないな。(笑
ちなみにボクの「マイ初演」はムーティ盤。

・カラヤン/BPO
今回再発見の収穫が一番大きかった一枚。
自分の中での「カラヤン・ルネサンス」は続いてるなぁ。
まあ50~60年代のカラヤンは、彼を毛嫌い(苦笑)していた学生時代でも割と好きだったんだけど。
ていうか、苦手なのは多分70年代。

とにかくシュヴァルベのソロが素晴らしすぎ。
この曲のVnソロを「協奏的に」解釈するスタイルの中ではトップクラスの美しさ!
もちろん「カラヤン美学」的な美しさではあるのだけど、さすがシュヴァルベ、時にその枠からはみ出してでも「自分の音」を見せているのが(あるいはカラヤンもそれを許しているのが)すごい(例えば終楽章冒頭のダブル奏法の勢い込んだ音!)。
シェヘラザードのテーマが出る度に、ほとんど悶絶しそうになるくらい濡れた音が耳を潤す。
ある意味、エロぎりぎりの線(笑)で気品を保つ。
これじゃシャリアール王も殺せないわな。
最後の高いE音の清澄さにはため息。

カラヤンの解釈は、物語性よりも「交響組曲」であることを前面に押し出しているし、ソロ楽器もその中でカラヤンの「支配下」にあるから、「めくるめく音の饗宴」といった趣ではない。
でも、ここぞといったところで見せるアゴーギク(大抵の場合、グッとコブシを入れてテンポを落とす)が堂に入っていて(特に両端楽章)、本人が意識している以上にドラマを作り出している。

そしてなんでこの素晴らしさに気付かなかったんだろうと、今回一番猛省したのが2楽章。
本来ならばそれこそソロ楽器の競演(=饗宴)で絵巻のような愉しさを作り出せるこの楽章で、ほとんど耽美的ともいえるくらい抑制された表情が全体を支配する。
前半なんてほとんど官能的……なのにその中に一抹の寂寥さえも漂わせている。
3楽章ならいざ知らず、この楽章でこんな胸を突くような解釈が出来るなんて……。
さらに終結部のテンポ操作とクレッシェンドに粟立つ。

3楽章はいかにもカラヤンなゴージャスさ。
とろける弦合奏のめいいっぱいの歌。
ほとんどアラビアのロレンスのテーマ(爆笑)。
ハープのあざといまでのクリアさ。

しかし、唯一の録音ていうのが惜しまれる。
70年代、そして晩年のスタイルでも聴いてみたかった気がする。

千夜一夜、もっと(その2)。2009/02/06 15:25:59

アップロードしたと思っていたら下書きのままだった。(汗
それでは第2弾、コッテリ編。(笑

・ロストロポーヴィッチ/パリ管弦楽団
1楽章冒頭の気宇壮大な見栄切り!
シャリアール王の暴君っぷりを分かりやすく表出している。
まるで歌舞伎のような「間」も活きている。
シェヘラザードのテーマも同様。
ホントに音が「語って」いる。

2楽章のテンポ操作もいちいちツボ。
中間部のTb.ソロ、弾むような豪快さ……そして輝くTp.。
Cl.ソロ背後の弦ピッチカートの迫る感じ。

楽章間をたっぷり取る、その気の持たせ方が心憎い。
シャリアール王の待ちきれない気分が伝わるかのよう。

3楽章がサラサラ流れてしまうのがちょっともったいない。
4楽章主部の駆け抜ける感じが爽快。

・ストコフスキー/LSO
とにかくグイグイと太い筆致で進めていく剛毅さ。
そしてその中に、これでもかと盛り込まれる「芸」。
その「芸」に気持ちと命をこめている真摯さ。

いちいち挙げるときりがないけど……、

1楽章、冒頭のvn.ソロのオクターブ上げ。
海原の場面、後半のシンバルの一撃。

2楽章のシロホン。
もうこれに慣れると他のが薄いオーケストレーションに聞こえてしまうという、恐ろしいまでの中毒性!!(爆笑

3・4楽章のスネアの響線オフによる乾いた響き。

4楽章冒頭の低弦E(2回目)の強奏!
これは間違いなく、曲想を真の意味でえぐり出している。
他の演奏がどうしてこうしないのか、疑問さえ感じる。
そして後半はドラ鳴りまくり!
更にスネアのてんこ盛りの付加。
難破のラストに付加された、哀しく響くTp.のミュートの一撃……。

でもこの音盤で一番素晴らしいのは、3楽章の艶やかに色気滴る弦。
とろけるポルタメントと弱音無視。
深ーい呼吸と長ーいフレージング。
そして名残惜しげな最後のリタルランド。
ホントのセクシーって、こういうこと。

レニー盤については「その3」で(まだ続くのか!)。

レニーのディスコグラフィ。2009/02/09 04:59:06

未聴盤も含め、とりあえず今ボクが持っているレニーのCDのディスコグラフィ整理(=html化)がやっと終わった。

完全制覇まで、青盤含めたぶん9割がたは来たと思う。
カルメン全曲とかボエームとか、対訳目当てに国内盤探すあまり、正規盤にも穴がまだ少しあるのはご愛嬌。(苦笑
まあ対訳くらい他の盤で補えばいいと考えれば、輸入盤の2 in 1(カルメンは3枚だけど)もので両方とも一瞬で揃うのだけど。

しかし、やっぱこういうのはためると駄目やね。
買う度ちょこちょこマメにやらないと。
ちなみに以外に面倒だったのはクリスマスアルバムの収録曲タイトルの和訳。(笑

以前も書いたけど、「チャイ5に…」も含め、いつかはレニーの方も復活させるかなーという気がおぼろげながらしているので、それに備えて元あったところにディスコグラフィを上げておく。

http://www.ne.jp/asahi/leonard/bernstein/lennydisks.html

千夜一夜、もっと(その3)。2009/02/10 01:13:01

・バーンスタイン/NYP
久々に聴いたけど、やっぱりすごい。
NYP時代のベスト5の一角を間違いなく担う名盤。
NYP時代のマーラーやガーシュウィンが今でも国内盤で現役なのは嬉しいことだし、もちろんそれらの価値だって十二分にあるのは分かってるんだけど、このシェヘラザードだってその列に加えられてしかるべし。

レニー/NYP時代のタイトな録音スケジュールが生み出した、あの「一発録って出し」のテンションって大きな魅力の一つだけど、この音盤はその要素を持ちつつ、それだけに留まらない「深み」(ある意味当時のレニーとしては意外なほどに)が随所で見られて、今なおこの曲の代表盤として挙げても恥ずかしくない。

まずは第1楽章。
ロストロ盤と同じく、大柄なシャリアール王の暴力的な主題。
それに分かりやすく対比されるソロVn.の艶やかさ。
コリリアーノの美音は、カラヤン盤のシュヴァルベとタメ張れる艶やかさ。
この楽章だけでなく、各所で隠し味のように利かされるポルタメントがふうわりと耳を包む。

そして楽器の出し入れに見られる細かいニュアンス!
例えば海原の頂点でのFl.のトリル。
テンポの出し入れも勢い一辺倒ではなく、揺らぎと加速とが見事にバランスを持っていて、曲想に沿った自然さ。

その「自然な」テンポ操作がさらに魅力を爆発させるのが2楽章。
Fg.とOb.のソロで見せるたゆたい。
その後の弦のpizz.での加速と減速(さらに漸強漸弱!)。
Tbの見栄切りのあと、沈み込むTp.ソロ。
まさにパッションの発露としか言いようのない、弦合奏のテンション高い弾きっぷり。
そして終結の加速で見せる鮮やかな身のこなし。

NYP時代のレニーがドライ?
3楽章の潤いを聴け!
細やかで艶やかなレガート。
主要主題のアウフタクトで見せる、息をのむようなため。
後年のレニーが見せる、濃厚な「うた」の端緒がすでにもう見えている。
乾いたTimp.の響きの後にくる再びのアウフタクトの切なさ。
チェロのメロディーの後ろにはレニーの声が明らかに聞こえる。
全てのルバートが曲の呼吸とレニーの気持ちと一体化している、幸せな瞬間。
幕切れの、憂愁すら漂わせる深み。

それが一変。
4楽章で見せる「いつもの」レニー&NYPらしさ!
勢い込んだ冒頭から飛ばしていく。
前に前に、もう我慢できない気持ちがほとばしるかのように、ひたすらムチを入れてかっ飛ばすのに思わずドキドキ。

そのまま難破の頂点まで手に汗握るスピードで追い立てておきながら、シャリアール王の主題でガクッと見栄を切り、現実(=シェヘラザードの語り)へと「自然と」減速していく。
強引さのまったくない、完熟しきったテンポ運び。
最後の2人の融和で見せる、名残惜しい余韻。
「2人の物語は、まだ続くのです。」

あと面白いのは、ストコフスキーほどではないにしても、1~4楽章をほとんど続けて演奏していること。
特に3、4楽章の間は続きが気になるシャリアール王の気持ちそのままのようでツボ。
気を持たせることでじらすロストロ盤とは好対照。

とりあえず、いったんはこれで最終回。(笑
なんかこうやって一気呵成に同じ曲をまとめ聴きするのも面白いな。
その間未聴盤更新が止まるのが難だけど。(苦笑

いつか聴いてみたい(=買ってしまうであろう)その他の音盤たち。
・チェリビダッケ/MPO(ただし正規盤ではなくミーティア盤。PACOでも出てるらしいが音悪いとか。まあ気長に)
・コンドラシン/VPO
・ミュンフン/パリ・バスティーユo
・ゲルギエフ/キーロフ歌劇場o

どうでもいいけど、「シェヘラザード」か「シェエラザード」か。
個人的には前者が好みなのでその表記にしたんだけど。
ま、何語読みがいいかの違いなんだけど。

映画「永遠のマリア・カラス」2009/02/12 01:26:28

音楽に関する映画(ないしは「映画の中の音楽」)について、見た後に感想を書くことにする。

音盤レビューほど力入れるつもりはないので、ホントメモ書き程度。
該当の映画を見ていない人にとっては??かもしれないけれど、まあ自分の覚え書き程度という認識なので、ご容赦を。

正月に見た「戦場のピアニスト」についてはタイミング逃したので今は書かないけど、きっとまた見るだろうからその時に改めて。

記念すべき(?)第一弾は先日深夜放送していた「永遠のマリア・カラス」。

*「永遠のマリア・カラス」 ( Callas Forever)
フランコ・ゼフィレッリ監督
2002年、イタリア=フランス=イギリス=ルーマニア=スペイン
ファニー・アルダン (Mairia Callas)/ジェレミー・アイアンズ (Larry Kelly)/ジョーン・プローライト (Sarah Keller)/ジェイ・ローダン (Michael)/ガブリエル・ガルコ (Marco)

・冒頭からオペラ鳴りまくりかと思いきや、ロックがガンガン鳴り響く「外し」。主人公であるプロモーター・ラリーの「物足りなさ」を象徴。
・劇中のカラスに日本公演を「ボロボロだった」と言われるのは辛いな。それってゼフィレッリ自身の見解とイコールってことでしょ?(苦笑
・ラリーがゲイである意味。ゼフィレッリの投影であることは当然だとしても、やはりカラスとの間に流れるのが「男女愛=恋情」でなく「友情(=戦友?的な)」なんだと受け手に強く意識づけるためだろうね。
・そう思って見るとピクニックのシーンが妙に切ない。
・その逆に、「カルメン」収録中に罵り合う2人はたまらなく幸せそうに見える。(笑
・個人的には音楽ライター・サラの存在がこの映画で光ってる。「私がマリア・カラスになれるなら、何度でも地獄に堕ちるわ」。普通であることの、この上もない難しさ。
・大きなフィクションの中に、小さな真実を混ぜることでそのフィクションが説得力を持つ。
・カラスがカルメンを、レコーディングしたけど舞台で演じたことはない、とか。
・実はホントにこの映画のように、「トスカ」で演技をするカラスに絶頂期の声を被せる企画があったとか。
・その「トスカ」を史実(?)とは逆にカラスが最後に提案するくせ玉。夢枕に立つ絶頂期の自分自身の“歌に生き、恋に生き”。これほど残酷なことがあるだろうか?
・1977年という時代。テクノロジーと商業主義が並列して加速していく。
・現代の目線から見たら、これって昨今当たり前のように行われている「編集ライヴ」とも通じる問題があるんじゃないか?
・新しい技術がくれた美しい幻。それに染まるべきか否か??