通勤ミュージック~0912112009/12/11 17:31:53

*ベートーヴェン:交響曲第1番・第2番・序曲「プロメテウスの創造物」(コンヴィチュニー/ライプチヒ・ゲヴァントハウスo.)

12月恒例「第九三昧」の前に、9番だけ聴いて残り手つかずだったコンヴィチュニーの全集消化を優先。

一発目は初期2曲。
第九の時も思ったけど、この音盤ってどこが「いぶし銀」?て感じる。
録音された時代背景なんかを加味すると、むしろこの上ないほどにフレッシュ。
東ドイツの、ある意味究極の「お国もの」であるけど、そこによりかかったルーティンさは皆無。

リピートをすべて行っていることも含め、スコアのあるがままを信じて鳴らす、作為のなさ。
かと言って無味乾燥や分析的なのではなく、今まさにその曲が生まれているような新鮮さとそこに立ち会う喜びが常にある。
むしろ「いぶし銀」という言葉は、先のケンペの全集の方が個人的にはしっくり来る。

1番の澄み渡った青空のような序奏。
リラックスして始まる主部には、青年ベートーヴェンの志がにじむ。
髪を逆立てて権威と闘う壮年期とは違う、溢れ出す瑞々しい野心。
再現部が明らかに提示部より力感に「自然に」満ちていることの意味。
2楽章はどこまでも優美で、それこそ背後に「パパ・ハイドン」の影がちらりと見える。
安全運転の3楽章は、主部とトリオの描き分けも抑え目だが、物足りなさよりも、むしろそれが自然に感じられる。
木管群と弦の掛け合いの愉悦!
そして音階のモティーフがまさに「目に見えて」成長していく過程が伝わる終楽章。
序奏から主部の20秒で、こんなにウキウキするなんて。
後はもう、そのウキウキに身を任せて堪能するだけ。
くどくない程度に強調される管の粒立ち。
テンポは決して快速ではないのに、沸き立つ気持ちが止まらない。

2番もほぼ同様。
完全に力みの抜けた序奏。
短調で一瞬見せる陰り(第九の1楽章にちょっと似てるところ)も、デーモニッシュなものではなく、どこか艶やか。
滑らかに入っていく主部では、1番より心持ち野心を増したベートーヴェンの素顔が覗く。
1番もそうだったのだが、1楽章の提示部リピートがホントに楽しい……というか嬉しい。
「まだこの空気に浸れるんだ」という。
結局のところ、繰り返しをするもしないも、そこに音楽が息づいているのかどうか、が大事なんだろう。

展開部の瑞々しい呼び交わし。
キラキラと爽やかな汗が飛び散る弦の刻み。
「これみよがし」の全くない再現部への入りの丁寧さ。
2楽章は、この曲が1番から長足の進歩を遂げたことを図らずも伝えてくれる名演。
管の扱い(とりわけHr.やCl.)、デュナーミクの妙……ただ優美なだけでなく、すべてが深みを増している。
そしてその深みを、ただ真正直に旋律を奏でているようにしか見せない演奏の素晴らしさ。
表に出さぬ入念な処理や心遣いがあってこそ。
後半2楽章はそれまでより心持ち勢いを増した感じ。
3楽章は1番と違い、トリオのそこかしこでいたずらっ子のような顔が覗く(Tim.や管の響き!)。
主部も青年の引き締まった筋肉を想起させるような力感。
そして終楽章は、速めのテンポとくっきりとした各楽器の「主張」が曲想に完全にマッチ。
Hr.や弦の強奏、Timp.の鼓動。
後の4番や7番につながっていく、「踊りとリズムの饗演」の萌芽がこの楽章に息づいている。
コーダのなだれ込み方(でも決して崩れない)には圧倒されるばかり。

「プロメテウス」は交響曲2曲よりも、さらに意志的な推進力が前面に出ている。
力感溢れる序奏、グイグイと進んでいく主部。
もちろん、だからといって押しつけがましいものではなく、曲想に沿っているから心地よい。