2021年9月の #ミチョランマ 消化2021/11/01 14:48:30

*29枚目
フランク:ヴァイオリンソナタイ長調
ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のためのコンセールニ長調op.21
ジャック・ティボー
アルフレッド・コルトー
with string quartet

フランクの名盤として誉れ高いこの演奏、恥ずかしながら聴いてなかった。

とにかく凄かった!

蕩けるようなポルタメント。
たゆたう囁きから凛とした響きまでの振り幅。
特に偶数楽章が素晴らしい。

アゴーギクの巧みさは魔法。
熱を帯びたコルトーのミスタッチが所々あるが、それさえ魅惑的。

*30枚目
Echoes Of Life エコーズ・オヴ・ライフ
アリス=紗良・オット
イン・ザ・ビギニング・ワズ
トリスターノ:イン・ザ・ビギニング・ワズ
ショパン:24の前奏曲 作品28 第1番ハ長調、第2番イ短調、第3番ト長調、第4番ホ短調
インファント・レベリオン
リゲティ:ムジカ・リチェルカータ 第1曲
ショパン:24の前奏曲 作品28 第5番ニ長調、第6番ロ短調、第7番イ長調、第8番嬰ヘ短調、第9番ホ長調
ウェン・ザ・グラス・ワズ・グリーナー
ニーノ・ロータ:ワルツ
ショパン:24の前奏曲 作品28 第10番嬰ハ短調、第11番ロ長調、第12番嬰ト短調、第13番嬰へ長調、第14番変ホ短調、第15番変ニ長調《雨だれ》
ノー・ロードマップ・トゥ・アダルトフッド
ゴンザレス:前奏曲 嬰ハ長調
ショパン:24の前奏曲 作品28 第16番変ロ短調、第17番変イ長調、第18番ヘ短調
アイデンティティ
武満徹:リタニ -マイケル・ヴァイナーの追憶に- 第1曲
フレデリック・ショパン:24の前奏曲 作品28 第19番変ホ長調、第20番ハ短調
ア・パス・トゥ・ウェア
ペルト:アリーナのために
ショパン:24の前奏曲 作品28 第21番変ロ長調、第22番ト短調、第23番ヘ長調、第24番ニ短調
ララバイ・トゥ・エターニティ
オット:ララバイ・トゥ・エターニティ ― モーツァルトのレクイエム ニ短調 K.626から ラクリモーサの断片による

ショパンのプレリュード全曲に現代曲を挟み込んだアリスのコンセプトアルバム。
正直聴く前は「以前のショパン・プロジェクトみたいに微妙ちゃうか(苦笑)」なんて思ってた。
豈図らんや……すごく良い!
冒頭/狭間/ラストに置かれている各曲にすごく「意味」がある。
特に冒頭の「イン・ザ・ビギニング・ワズ」とラスト「ララバイ・トゥ・エターニティ 」。

もちろん本チャンのプレリュードもなかなかの演奏。
清冽な印象を残した彼女のワルツ集ほどではないけれど、純粋にショパンのプレリュード集としても良盤。

*31枚目
・G.ガブリエリ:第9旋法による12声のためのカンツォーナ
・S.シャイト:コルネット・カンツォーナ
・H.パーセル:《アブデラザール》からの組曲
・O.ディ・ラッソ:その者に祝福あれ(2声から12声のための)
・G.F.ヘンデル:シバの女王の入城
.・J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第3番BWV1048
・H.W.ヘンツェ:8本の金管楽器のためのソナタ
・W.D.ジーベルト:金管楽器のロンドーベルリン・ブラス・アンサンブル

PJBEみたいな「ギラギラ」とはひと味違う渋みは、やっぱりドイツならではか。
かといって「重い」わけではない。
ブランデンブルクの愉悦感なんて最高。
パーセルの曲はブリテンの元ネタ。

2021年3月の #ミチョランマ 消化2021/04/29 21:17:58

*8~10枚目
アルゲリッチ/ソロ・ピアノ作品集
マルタ・アルゲリッチ

3枚組。1・2枚目がショパン、3枚目がバッハ。収録曲は
*ピアノ・ソナタ第2番「葬送」、第3番、舟歌 嬰ヘ長調、スケルツォ第2番、第3番
*24の前奏曲、前奏曲第25番、第26番、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ、ポロネーズ第6番「英雄」、第7番「幻想」、マズルカ第36番、第37番、第38番
*トッカータ ハ短調、パルティータ第2番、イギリス組曲第2番

ショパンのソナタはどちらも「悪くはない」んだけど今ひとつで残念。
シューマンとリストのソナタみたいに燃え上がるような感じを期待してたんやけどなぁ。
前奏曲の方が好みというか面白い。
ひとつひとつの曲が独立しているのではなく、24曲でひとつの塊というか物語のような解釈。
むしろバッハがすごく良くてびっくり。
きっちり端正なのに歌心溢れるバッハ!

*11・12枚目
バッハ:無伴奏チェロ組曲
パブロ・カザルス

この「古典中の古典」を今まで聴いていなかったことを恥じ入る。
……まあ買ってから寝かせすぎ、てのもあるんだけど(苦笑)。
前に書いたけど、バッハの無伴奏チェロ組曲はそんなに持っていない。
ギター版という変わり種を除けば3種類。
月並みだけどやっぱり「別格」。
この曲の「意味」「意義」が一番伝わってくる演奏。
あまりに有名な1番の前奏曲もとにかく雄弁に語りかけてくる。
音の悪さは全く気にならない、というか全く「悪い」と感じない。
室内楽で独奏、てこともあるのだろうけど、そこを超えて訴えてくる「力」「圧」が凄い。
ムンムンと匂い立つような熱気。

*13枚目
ハイドン:交響曲第94番「驚愕」、第95番、第45番「告別」
カザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団、プエルト・リコ・カザルス音楽祭管弦楽団

カザルスの「指揮」するオケ曲って、どれも特別奇を衒うことはないんだけど、それでいて中庸とは違う「濃さ」がどの曲にもある。
もちろん当たり外れもあって、以前聴いたベートーヴェンの7番と8番の1枚は、前者がどうも煮え切らないまま終わってしまって物足りなかった。
ところがあまり期待してなかった8番の方がもう飛び跳ねんばかりにピチピチとした演奏で非常に楽しかった。

ハイドンも当然オールドスタイルではあるんだけど、とにかくどの曲も「愉しい」!
そして「楽」ではなく「愉」を使いたい感じの演奏。
……ニュアンス伝わるかしら?

なお「ベートーヴェン1・6番」「ベートーヴェン2・4番、シューベルト5番」の2枚がミチョランマだから早く聴きたい(聴けよ!)。
モーツァルトの後期6大、シューマン2番も、あとバッハのブランデンブルク&管弦楽組曲もいつか買うんだろうな……てか欲しい(笑)。

通勤ミュージック~0901272009/01/27 16:33:43

*ストコフスキー・スペキュタクラー

RCA 2 in 1シリーズ。まずは1枚目から。

1.無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番~プレリュード(バッハ~ストコフスキー編)
2. 同第2番~シャコンヌ(同~同)
3. 管弦楽組曲第3番~アリア(同~同)
4. 小フーガ ト短調(同~同)
5. 組曲「水上の音楽」(ヘンデル)
6. 同「王宮の花火の音楽」(同)

バッハはLSO、ヘンデルはRCAビクター響。

もうプレリュードから(いい意味で)映画音楽のノリ。
今ならさしずめゲーム音楽か。(笑
楽しく明るく歌ってルンルン。

それがシャコンヌで一変。
あたかも愁嘆場を演じるかのような大げさな身振りの中に、甘美な色気がムンムンと香り立つ。
先日のイエペスのように、内へ内へと向かうような内省的な空気とは全く違って、放射されるエネルギーに満ちているが、これはこれで(バッハが求めているものとは違ったとしても)極められた「何か」が心に響いてくる。

もちろん「好き嫌い」という概念は否定しないし、音楽を楽しむ上で重要な様子だとは思うが、結局のところ、その「何か」を伝え切れているか、が自分の中では大きな評価基準のような気がする。

「彼(=バッハ)が私の編曲をどう思うか。それは私の死後の運命がどうなるか分からないけど、とにかく行った先で彼に会ってみないことには何とも言えない」(by ストコフスキー)

コッテリと歌い抜くG線上のアリア。
ド派手な金管のトリルで飾られる小フーガ。
とにかく、やり切ろうとする信念の説得力に脱帽!

ストコフスキーのバッハは、チョコフィルのライヴ盤を持っていて、あれも凄い(特に「パッサカリアとフーガ」)。
ただ選曲は当音盤の方がバラエティーに富んでいていいかな。

ヘンデルの2曲も十二分に楽しませてくれる。
クーベリック盤のような「威容」こそないけれど(ていうか、そんなもの眼中にない?)、とにかく大らか。

「水上の音楽」では、最初から最後まで、これでもかと言うくらいにメロディーに合わせてスネアドラムを鳴らしまくる。
やっぱり、というか期待通り、というか。

ところが一転「花火」では意外なほど穏やかな表情を見せる。
テンポも全体に落ち着いてゆったり。
もちろん楽器は補強してるけど、序曲で不意に見せる弱音にも驚かされる。
「歓喜」も開始の弦でぐっと抑え、繰り返す度にジワジワと盛り上げる。
しかし最後の金管でもド派手にはならない。むしろ大人。

……やるとしたら、普通逆(水上=穏やか 花火=派手)だよね。(苦笑
その辺の一筋縄では行かないところもまた、「ストコ節」たるゆえんか。

通勤ミュージック~0901132009/01/13 21:45:28

*ロドリーゴ:アランフェス協奏曲、ある貴紳のための幻想曲 ヴィヴァルディ:ギター協奏曲ニ長調 バッハ:シャコンヌ(イエペス、アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団ほか)

年末購入、順調に消化中。(笑

アランフェスは、自分の中ではそんなにたくさん集める類の曲ではないかな、という思いがあって、これがまだ2つ目。
それがド定盤なんだから不思議ですわな。(苦笑

スペインは情熱の国、てのは定番というか手垢のついたフレーズ。でもこの音盤からは、そんなステレオタイプの表情は全く聴かれない。
もちろん暗いわけではなく、からっと抜けるような明るい音や明瞭なリズムにラテンの色を見て取ることは確かに可能。

でも、個人的により強く感じるのは、内省というか内観というか……とにかく自分の音と向き合うようなイエペスのスタイルの一貫性。
それこそ陳腐と言われそうだけど、ある意味日本人好み、という感じがする。

だから有名な2楽章も、感傷の海に溺れるようなことはなく、凛とした空気が支配している。
それは決してこの曲の魅力を減じるものではなくて、むしろ深々とした味わいがあって素晴らしい。
長い間「決定盤」の名を冠しているのも、そういったゆえんじゃないのかな。

そしてその思いは、最後のシャコンヌで一層強くなる。
この曲のアレンジ版って、とかく「見せ場」的になりがちだけど、当然そんな感じは一切なし。
かといって周りを拒絶するような厳しさというわけではなく、ギターの、そしてバッハの世界に静かに向かうイエペスの音が清々しい。
変な例えだと笑われそうだけど、「只管打坐」という言葉が頭に浮かんだ。

ただ誤解してほしくないのは、決して愉悦に欠ける演奏ではないということ。
アランフェスの両端楽章や「ある貴紳~」、そしてとりわけヴィヴァルディではギターという楽器の持つインティメートな温もりがすごく伝わってくる。

モダンなバロック。2009/01/07 17:12:47

なんとなくすっきりしたモノが聴きたくなり、年末に買った中から、バッハの「音楽の捧げもの」をチョイス。

リヒター、ニコレ、ビュヒナー、グントナー、マイネッケ、キスカルト、ビルグラムという7人の演奏。
リヒターは奏者としてはチェンバロを少し弾いているだけ。
しかし、この50分弱にみなぎる「リヒターらしさ」!
全体の目配り(指揮)をしているのから当然といえばそうなのだけど、人数が少ないだけに一層その感を強くする。
聴いているこちらの背筋がピンと伸びる。

かといって窮屈であったり、理屈っぽかったりするわけではない。
最初のリチェルカーレから最後まで、「行程が見えている」と言えばいいのだろうか、王の主題が常に目に見えるように聴こえてくる。
フーガやカノンなら当たり前といえばそうなのかもしれないけど、そう出来ている演奏って意外とないんじゃないか?
リヒターのバッハやヘンデルとかが今でも大事に聴き継がれている(よね?)のは、そういったところがキモなんだと思う。

ボクがクラシックにドンドンはまっていった中高生のころに、ちょうど古楽器のブームが来て、モダン楽器のバロック(古典派さえ?)なんて、まるで無知な行為であるかのようなムードがあったけど、個人的にはどうもなじめなかった。
そのせいか、棚を見渡してもほとんど古楽器の音盤ってない(それはそれで不勉強だとは思うけど)。

結局そのムードも一時のもので、今はその考察をモダン楽器にも取り入れつつ……なんて感じが主流になっているので、あの頃頭でっかちにならなかったのは正解だったのだろうか。(苦笑

もちろん学問としての奏法研究や楽譜の考察というのはすごく大事で、決して無駄なものではないのだけど、結局のところ、「聴き手」である我々にとっては、「そこから何を見せて(=魅せて)くれるか」が大事なわけ。
要は精神論になるんだろうけど、「つまらんものはいらん」わけですよ。

だから、繰り返しになるけれど、リヒターやミュンヒンガーが作っていたものって、少なくともボクにとっては全然色あせていないし大事なものばかり。
もっと踏み込んでいけば、ストコフスキーのバッハってどうよ、という話にもなるし、メンゲルベルクのマタイは、てことにも通じる。

なーんて事を書きながら、次にレニーのヴィヴァルディの協奏曲集を聴いてると、「四季」でレニーがチェンバロをド派手にノリノリで装飾しているのが耳に飛び込んできて、これこそ「ムジツィーレン」だなぁーと、思わず笑ってしまったのだった。

「面白ければいいやん」「楽しければいいやん」と言い切ることの強さ。
もちろん楽曲の持つ性格にもよるから、どれでもそれが正しいとは言えないけれど。
「考えない音楽」は良くないけれど「考えすぎる音楽」はもっと良くないよな、てことか。

……なんだかとりとめなくなってしまった。反省。