1+235本のトランペット。2010/09/07 03:34:26

久しぶりにコンサートを聴きに行った。
後輩が出演しているので。
サントリーホールも何年ぶりだろう。

なんと最大236本ものトランペットが鳴り響くというチャリティーコンサート。
詳しくはこちら。↓
http://www.aarjapan.gr.jp/activity/report/2010/0906_397.html

*のついている曲が全員演奏で、あとはプロの演奏なのだけど、さすがに全員演奏は圧巻。
ものすごい音圧で、終演後はお腹空いたもん。(笑。
最初こそ、やっぱり「ズレ」みたいなものを感じたのだけど、曲を重ねるにつれて息が合っていくからすごい。
どんなモンでも「やりきる」事ってすごいよね、て感じさせられるプログラムでした。

なお、2部のオルガン即興演奏は童謡「赤とんぼ」をモティーフにしたもの。
これがもう感動したのなんのって……。
主題の発展、変容、展開。
やはり音楽の根っこは「インプロビゼーション」にあるのだ、ということをまざまざと見せ付けられた。


おまけ。
秋篠宮ご夫妻臨席に驚く。


リック・オービエ(トランペット)
ティエリー・エスケッシュ(オルガン)
菅原 淳(ティンパニ)

【プログラム】
モンテヴェルディ:歌劇「オルフェオ」よりファンファーレ*
ブラント:コンサートピース第2番
シャルパンティエ:テ・デウムより「プレリュード」*
クラーク:トランペット・ヴォランタリー*
ムレ:交響的ファンファーレ*
パジーニ:カンタービレ
シューベルト:ワインと愛 
エスケッシュ:舞踏的幻想曲
ベーメ:協奏曲へ短調より第1楽章

エスケッシュ:トランペット・ストーリー
松下功:「祈りのファンファーレ」           
ビゼー:アニュス・デイ
オルガン即興演奏               
エスケッシュ:クリスマス・メドレー
ヴェルディ:歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲*
ベートーヴェン:交響曲第9番より「歓喜の歌*
ヘンデル:メサイヤより「ハレルヤ」*
ヴァンベスレール:ベスト・オブ・フランス*

マイナー曲で、何を魅せるのか。2010/05/30 02:34:33

*ベートーヴェン:ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための三重協奏曲、合唱幻想曲(ケーゲル/ドレスデン・フィル、レーゼル(P)、フンケ(Vn) 、ティム(Vc)、ライプツィヒ放送合唱団ほか)

トリプルコンチェルトと言えばやっぱりカラヤン盤なのだけど、それほど頻繁に聴くわけじゃない。
そしてこのケーゲルの音盤を聴いてまず思ったのは、「カラヤンの演奏ってどうだったっけ?」てこと。

ホントに「良い」演奏とはそういうものなのかもしれない。
他への広がり、関心や興味を喚起する。

曲へのストレートな共感を感じる。
気持ちよいほどまっすぐな表出。
この曲が持っている、サロン的な「軽さ」を楽しむ。

1楽章の掛け合いの妙。
2楽章のピュアな空気。
3楽章の愉悦。

これもケーゲル、あれもケーゲル。
奥が深い。

合唱幻想曲も同じ。
朗らかで笑顔なケーゲルがいる。

あまり「異形」の面ばかり強調してはいけないのだろうな。

通勤ミュージック~1003122010/03/12 17:05:54

コンヴィチュニー全集、いよいよラスト。
忙しかったせいもあるけど、長かったね。(苦笑

7番。これは掛け値なしにすごい。
全集中で第9と1・2を争う名演。

この曲も4番や5番のように、“呪縛”の名演が多々あるわけだけど、そういったものからいっさい自由。

それでいて、これまでの演奏よりもやや「主情」的なものが多めににじみ出ているのがユニーク。
それがこの曲の力感と完璧にマッチしている。

重みより喜びを感じさせる冒頭の一撃。
音を張った、しかし決して割れない金管。
速めの1楽章は、まさにムジツィーレンに溢れた快演。

2楽章もすっきりと流すタイプで、葬送にはならない。
かといって「不滅のアレグレット」的な大仰さにもならない。
あくまでも純粋器楽としての響き。
しかし、そこにある“うまみ”というか味わい。
同じ透明でも、水と酒が似て非なるように。

3楽章がたまらない。
愉楽にあふれながら、羽目は外さないいつもの彼らしさ。
それが一転、最後のコーダで見せる、“闇”さえ感じさせるたゆたい!
これまでに全く無かった色気に、おもわずドキリとする。
そして目覚めたごとく、最後の5小節の煽り!!
ここは何回聴いてもすごい。

そして終楽章!
速めのテンポでグイグイと進めながら、ぎっしりと詰まった中身にも事欠かない、奇跡の両立。
ティンパニはもう少し強奏してもいいかな、とも思うけど、ホルンの充実がそれを帳消しにする。
ホルンも決して楽々と超絶プレイ、というわけではない。
でもそれゆえのひたむきさが、一丸となって終結へ向かっていくこの楽章の姿勢にフィットしていて、聴いていると自然に耳と心が熱くなっていく。

8番はこれまでのコンヴィチュニーらしさがそのまま表れてる。
焦らず急がず、大海に揺られる心地よさ。

軽妙さや洒脱さからは遠いだろうけど、じんわりじっくり、この曲の楽しさが伝わってくる。
恒例の1楽章リピートも「やっぱこれだよなぁ」という安心をくれる。

****************************

さて全曲を聴いての感想。
とにかく全9曲の出来に過不足がない!
しかも繰り返し聴きたくなるような新鮮な発見にも事欠かないのがすごい。

スコアリーディングにおいては、当時では珍しかったリピートなど、真摯な姿勢が評価大(もちろんエロイカのTp.追加とかはあるけど)。

序曲も有名どころは一通り入ってるし、「レオノーレ」が1~3番のすべてあるのも個人的には嬉しい。(笑
あと、これは些細なことかもしれないが、交響曲が番号順にきちんと収まっているのも良い。

21世紀の現代でも、ファーストチョイスの全集として選ぶ価値は十二分にあると思う。
おそらくこれからも、何度も手を伸ばすことになるだろう。

シューマンの全集も楽しみだな。

通勤ミュージック~1002282010/02/28 14:12:50

*ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」・「レオノーレ」序曲第3番、歌劇「フィデリオ」序曲、序曲「コリオラン」(コンヴィチュニー/ライプチヒ・ゲヴァントハウスo.)

何度かここでも書いているけど、「田園」って難しい曲だなぁといつも感じる。
普通に演奏するだけじゃ平板(単調?)になるし、手練手管を施しすぎたらいびつになってこの曲の良さをぶち壊すし。

どんな曲だってそうだ、と言われればそうなんだけど、真水のようなピュアさ、が神髄(だと思う)のこの曲においてはそれが顕著。

そして、さすがのコンヴィチュニーも、これまでの5曲のように新鮮な驚きをもった「田園」像を見せるには至っていないと正直思う。
しかし、やっぱりそれでもこれまで同様、あくまで真摯に楽曲に対峙する姿勢が、くっきりとこの曲の「あるがまま」のフォルムを描いている。
各楽章の表題性からは若干遠いスタイルだと感じるけど、むしろその方が向いてるのかも。

木管楽器のいささかひなびた感じが印象的な1楽章。
流麗ではないかもしれないが、かといって無骨なわけでもないバランス感。
2楽章は小川のゆったりおっとりとした流れが心地よい。
そしてやっぱりひなびた鳥たちの呼び交わし。
3楽章の踊りや4楽章の嵐にはもう少し遊びというか演出があってもいいなぁと感じるけど、まあ筋違いのお願いか。

終楽章では逆にその「演出のなさ」が、どこまでも誠実な“祈り”の音楽を紡ぐ。
立体的なホルンの響きに、自然に耳をそばだてさせられる。
最後の締めもホルンが素晴らしく、ゲシュトップの音色が天恵のように響く。
そしてコンヴィチュニーにしては意外なほどに大きな呼吸を伴ったリタルダンドで幕を引く。

フィルアップは序曲3つ。
「レオノーレ」3番って、“いかにもベートーヴェン”のエキスがギュッと凝縮されているので、聴く度に「小さな交響曲」だなぁと感じるし、どちらかと言えばそういう解釈の方が好き(例えばフルトヴェングラーは何度聴いても心震える)。
とは言え、コンヴィチュニーのような“自然体”だって傾聴できる。
オペラの中の一場面(まさに終幕前に挿入されるあの演出)というより、一つの演奏会用序曲のように。
手に汗握りはしないけど、じんと胸を満たす感じ。

しかし、むしろ強い印象を残すのは「フィデリオ」。
こちらは一転、それこそ“幕開け”にふさわしい覇気に満ちた演奏。
目を見張るような前進性。
冒頭主題が繰り返されるたびに自然と加速するその呼吸感。

「コリオラン」は質実剛健。
良い意味で生真面目さが曲想に合致している。

通勤ミュージック~1001102010/01/10 16:05:19

*ベートーヴェン:交響曲第4番・第5番(コンヴィチュニー/ライプチヒ・ゲヴァントハウスo.)

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

コンヴィチュニーの全集も中期へ突入。
まずは4番。
この曲の「マイ初演」がクライバーで、2つ目が確かフルトヴェングラーだった。
……ある意味、この曲の「素直な本来の姿」から遠いのばかり聴いてたとも言える。(苦笑

もちろんその後色んな演奏を聴くことで、その“呪縛”からは少しは自由になってきたけど、やっぱり強烈な刻印はどうしてもいまだにある。
その意味から言えば、コンヴィチュニーの音盤はまたもや爽風を耳に届けてくれた。

神秘的な原初の空気(=フルトヴェングラー)や張りつめた緊張感(=クライバー)とは違う、そっと楽曲に手を差し出すような序奏。
主部も決してアグレッシヴになることなく、木訥ささえ感じられる進行。
きっと学生時代とかなら「物足りない」と感じたのかも知れないけど、素朴な中ににじむ誠実な“仕事(Werke)”っぷりの出来映えにひたすら感じ入る。

そうなると2・3楽章が良いのは必然。
クライバーのような艶っぽさはないかもしれないけど、「むしろそれって必要なのか?」と思わせるナチュラルさ。
しずしずと、まさに「巨人の間の乙女」の趣。

4楽章もじっくりと進めながら、諧謔性やリズムへの志向を決して忘れていない。
クライバーの「曲芸」スレスレの緊張感、あれはあれで驚嘆モノだけど、みんながすべきではないよなーと言う気がする(スキだけど)。

5番が堅牢なスタイルを見せてくれるのは予想どおり。
まさに仰ぎ見るような立派さに満ちた1楽章。
闘争のドラマは薄いかもしれないが、ひたすら音像で勝負。

2楽章の主旋律が、こんなに慰めに満ちた美しさをたたえていたなんて。
手垢のついた「名曲」という偏見をぬぐい去るひたむきさ。
3楽章の後半、ブリッジへ向かう前、弦のピッチカートの丁寧な処理。
そういった細部への気配りが全体を支配する(「神は細部に宿る」!)。

しかし何より圧巻なのは終楽章。
確かにそれまでの3楽章が誠実とはいえ地味だ、と言われればそうかもしれないが、終楽章は違う。
それまで抑えていたものをすべて押し出すような力感にあふれ、しかし節度は失わない。

朗々と吹き鳴らされるトロンボーン。
キラキラと粒立ちするピッコロ。
終楽章でこれらの楽器が加えられた「意味」がはっきりと目に見えて分かる。

徒に熱くなったりはもちろんしないが、それでも十二分に「達成感」を感じさせる熱演。
この曲のコンセプトであり、そしてある意味安易なコピーかも知れない「苦悩を通り超えて歓喜へ至る」という言葉が、堂々と胸を張って音で示される。

正しいことは恥ずかしくなんかない。
むしろ、恥ずかしいと思うことが恥なんだ。
青臭くも、そんなことを感じさせる音盤。

第5の終楽章でウルッと来るなんて、滅多にない体験なので自分的にも驚いた。
下手な演奏がやると冗長でしかない提示部のリピートが、まさに胸に迫ってくる。
「かくあるべし」との思いを持って。

いやー、まだまだ良い演奏というのはいっぱいあるんだね。