ムラヴィンスキーのブラ2。2018/06/17 04:51:46

何度か書いた気がするけど、ブラームスの交響曲では2番が一番好き。
終楽章のコーダ、アクセル全開のやつも良いし、悠然としてるのも良い。
要は「曲」が好きなんだろう。
演奏うんぬんの前に。

「曲自体」が良いと、よほど酷い演奏でもない限り嫌にならない。
反対に「演奏次第」の曲もある。
例えば、チャイコフスキーなら前者が4番、後者が5番。
この話は色々言いたいけどいずれまた。

さて。
ブラ2は断然前者だと思います。

ムラヴィンスキー/レニングラードpo.
1978/04/29 @レニングラード
1977/09/27 @東京文化会館

どっちもライブ録音。
前者は久しぶりに、後者は初聴き。
スコア見ながら聴き比べしたんだけど、前者はもっとひんやりしてたイメージ(このコンビの「未完成」とか「ベト4」みたいな)あったけどそうでもなかった。
むしろあたたかい。このコンビにしては意外かも。

日本ライブの方が心持ち「熱い」かな、って印象はあるけど、こちらも丁寧かつ安定した進行。
終楽章もそんなにぶっ飛ばさないし、

まあどっちも金管の轟音なんかはいかにもロシアオケ、って地金が出てちょっと笑えるんですが(笑)。
特に日本ライブはALTUSの好み(?)なのかダイナミックレンジがめちゃくちゃ広くて、最弱音に合わせるとfffでびっくりする。
あとちょっと録音が膝上レベルかなぁ。

レニングラードの方が録音はすっきり。見通しがいい。
ただいささか「お化粧」され過ぎた感あって、これはもう一長一短。

どちらも「ブラ2」代表盤、とは言えないだろうけど、ブラ2好きとしては十二分に満足いくもの。
アポロン的な解釈もデュオニソス的な解釈もできるのがこの曲の魅力だとすれば、まさにその真ん中でありつつも退屈ではない。
それって改めて考えると簡単なことじゃあないよね。

あ、一つだけ不満。
1楽章繰り返さないのはNG!w
あの「D-C-D」のモチーフをもう一度聴くのが好きなので。

なんか調べるとこれもALTUSから出てる、ウィーンでの同コンビの同曲演奏が「一番良い!」と言ってる人が多くてちょっと困ってる(苦笑)。

悲しんでいる人々は幸いである。2010/05/26 02:32:18

*ブラームス:ドイツ・レクイエム(ケーゲル/ライプチヒ放送交響楽団、ハーゲンダー、ローレンツ、ライプツィヒ放送合唱団)

恥ずかしながらこの曲唯一の所有音盤。
楽曲自体はFMやテレビで何度か耳にしているのだけど。
だから、あまり多くを語れるほどの知識も経験もない。

その上での印象。
「謹厳実直」なブラームスとは違う、儚く繊細なブラームス。
聖書の「 悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるからである」という言葉が深々と心に響く。
先の管弦楽曲集でも感じたけど、ケーゲルの良さって、弱音の美しさにあるのでは?
この曲でも顕著。

やっぱり、他の音盤も聴いてみないとな。
そうするとまた違ったものが見えて来るだろうから。

レニー/NYPのブラームス。2010/04/20 01:33:20

*ブラームス:交響曲第1~4番、大学祝典序曲、悲劇的序曲(バーンスタイン/NYP)

Bernstein Centuryで揃えなおしたのを、久しぶりに何日かかけて聴いた。
やっぱり1番終楽章のハイテンションな追い込みは最高!
大学祝典も、そんな感じで行けばもっと面白いのになぁ。
最後の見栄きりはユニークなのにもったいない。

VPOとの演奏にも、外へ放出される「レニーらしさ」はあるのだけど、やはりそこはVPOで晩年。
もっと濃厚で重厚なものがある。
ひるがえってNYPとの演奏は、ある意味「聴き疲れ」するくらい威勢の良いエネルギーの放出が特徴的。

こぢんまりとまとめる演奏もしばしばある3番。
レニーはいつもエネルギッシュ。
後年のBRSO(名演!!)やVPOとの音盤に、「楽曲として」軍配を上げるのは仕方ないけれど、どっこい、NYP盤も捨てがたい。
「この曲は地味やない。パワフルなんやー!」と声高に主張しているような演奏。
……なぜ大阪弁なの、てのはつっこまないで。(笑

「悲劇的」や4番もそう。
グッと涙をこらえるのではなく、とにかく大泣き(これは後年もそうだけど)。
ブラームスが言った「白いハンカチを用意して聴いて欲しい」の言葉が吹っ飛ぶ。
てか、これじゃハンカチびしょびしょですわ。(笑

後年につながるなぁ、と改めて再発見したのは2番。
レニーはこの曲を、意外なほどにいつも「カチッと穏やかに」まとめる。
それこそイケイケドンドンなのか、と予想される終楽章は、決して煽らない。
たぶん、そういう曲として捉えていなかったんだろう。
とは言え、後のVPOのまろやかなコクとは違う硬質なNYPの金管が、この曲ではある種の力感を生んでいるのも事実。
テンポではなく「音」で盛り上げの勝負するというのを、見せつけられた感じ。
以前聴いたときより、好きになった。

こういう事があるから、時間をおいて再聴する楽しみがある。
盤キチのサガですな。(苦笑

通勤ミュージック~0911042009/11/04 18:36:12

*ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」序曲、バーンスタイン:「キャンディード」序曲、ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、ブラームス:大学祝典序曲(以上バーンスタイン/ボストン・ポップス)、マーラー:交響曲第10番1楽章(バーンスタイン/VPO)

CD-Rの青盤。
最後の1曲以外は、本来ボストン・ポップスの自主製作盤で出ているもの。
現物が欲しいのだけど、たまーにヤフオクなんかで出てくると、ビックリするような値段になっており、いつも断念。

その意味でこの音盤は、途中のスピーチなんかはカットされているけど、曲が聴けるだけでもありがたい。
もちろん海賊盤の是非、という意見はあるのだけど、それはこの際置いておいて。

どの曲も、会場に満ちた「くだけた空気」そのものが伝わってくるかのような演奏。
かといってもちろん手抜きなのではなく、むしろ「そういう空気感」だからこそ、レニーの溌剌さが直接響いてくる、といった方が適切。

例えばロッシーニ、最後の加速とラストに被さる拍手。
普通なら「フライング拍手!」なんて悪し様に言われるだろうけど、「逆にそれがいいやん」て感じ。
キャンディード、どちらかと言えば、軽く流しているのだけれど、居並ぶベタな名曲たちに比してまったく負けないその存在感に感動する。(身びいき??

マイスタージンガーは、あっけらかんとした開けっぴろげな歌わせ方。
質実な感じではなく、滔々とした広い流れというよりサクサクした歩みが印象的。
大学祝典序曲では、NYP盤のような最後の“ど”タメ(笑)はなし。
またまた終結前から拍手しちゃうお客にこちらももう笑うしかない。

唯一残念なのは、途中のスピーチが半分も理解できないこと。
お客もめっちゃ笑ってるのに。
ああ、もっと英語が分かればなぁ。(苦笑

フィルアップのマーラー。
DG盤やSONY盤よりもちょっぴり後年の録音。
この曲聴くのもずいぶん久しぶり。
ていうか、レニー盤しか持っていないのだが。(汗
身をよじるほどに美しく、それでいて痛切な叫びに満ちている。
発狂寸前のところで踏みとどまる、その残酷なまでの美しさ。

やっぱ全曲盤も後学のために聴かねばダメかな。

レニー&1周年。2009/10/16 00:56:41

さすがに今日はメンデルスゾーン全集をお休み。
昨日はレニーのメモリアル・デイでしたから。

*ブラームス:交響曲第4番(バーンスタイン/VPO)

久々に聴く88年のライヴ。
DG盤よりさらに濃厚で、慟哭と枯淡の振り幅がすさまじく大きい。
Timp.の乾坤一擲、ビリビリ来る弦のピチカート。Hr.の叫び。
その果てに来る終楽章冒頭のため息。

聴くと著しくこちらの体力も消耗する。
それだけ真剣勝負なのだ、と改めてレニーの大きさを感じる。

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さて。
気づくと当ブログも開設1年が経ちました。

仕事や私事が忙しくなると更新が滞るのも良くないとは承知していますが、むしろ最近自分の中で気になっているのは、かつての2サイトではないけれど「キレイに」「キチンと」「正しく」書こうとすることに意識が行き過ぎているな、という事。

発足当初はそれこそかつてのサイトとは違う、“殴り書き”的な、ある意味それこそ垂れ流しのアウトプットとすることから見えてくる何かをつかめれば、と思っていたのですが、事態はかつてと同じループになってしまっている気が若干します。

ここは心機一転、もっと肩の力を抜いて、それこそ流行のツィッターではないけれど「つぶやき」に近くても良いから、ガンガンと書くことに重点を置くべきではないかなぁ、と思っています。