ワルターのマラ4。2011/01/10 02:57:29

*マーラー:交響曲第4番(ワルター/NYP、ハルバン)。

VPOとの瀾熟とはまた違う、楷書のマーラー。

でもやっぱりどこまでも「優しい」。
テンポあまり動かさない1楽章の、例の「5番先取り」のファンファーレ。
威嚇ではなく、静かな微苦笑。

2楽章の死神もあくまで優雅。
3楽章はワルターの美点全開。
中だるみ一切しないのがすごい。

4楽章速いなぁ。
ちょっと驚くくらい。

アリスたんコンサート(リストPコン1番)。2011/01/08 09:24:20

1月6日 サントリーホール
飯森範親/都響

アリスたんコンサート!
バックは(笑)飯森範親&都響。

リストのコンチェルトと、メインは巨人。
巨人生で聴くのは何年ぶり?
大阪のシンフォニーホール。
あの時はインバルだった。

リストはディスクより良かった。
1楽章終盤の丁寧さ、2楽章のトリル。終楽章コーダの熱気。
真っ赤なドレス。

アンコールのノクターン……泣いた。
音楽がまさに瞬間芸術である意味。
この時間は、もう二度と帰って来ない。
たとえ無修整録音でも。

巨人も大満足。
後期に引き付けて解釈すんのも最近多いけど、あくまで若く熱く。当然叙情的な箇所の艶やかなウエットさ。

何より冒頭の「冬から春」感!
最近は近未来の無菌室みたいなやつ多いからなぁ。
当然ラストのコーダはホルン起立。これでなくちゃね!

ワルターのマラ5。2011/01/06 00:51:57

*マーラー:交響曲第5番(ワルター/NYP)

1楽章。
悲しみに寄り添う優しさ。
葬送行進曲としての意味。

塗炭の苦しみでもなく、大泣きでもなく。
最後のピッチカートの、そっと置く感じ。

それゆえの2楽章の激しさ。
3楽章の愉悦。ウィーン的な。
アダージェットが歌心に満ちているのは言うまでもなく。

そして最終楽章。
コラールの達成感……現世肯定的な。
最後のまくりすげえ。

聴き初めはワルターの復活。2011/01/02 10:42:09

*マーラー:交響曲第2番「復活」(ワルター/NYP、ウェストミンスター合唱団、クンダリ、フォレスター)

5楽章。 ワルターのマーラーは心にも耳にも優しい。
微温的と言う言葉を「手ぬるい」の意味で使う人には物足りないのだろうけど、誰しも刺激ばかり求めて生きているわけじゃない。

「さすらう若人の歌」女声版聴いたの初だった(爆)

これぞ爛熟。2010/03/16 15:18:09

*モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」、マーラー:交響曲第4番(ワルター/VPO、ギューデン)

1955年11月6日、ウィーン・ムジークフェラインザールでのライヴ録音。
DGから出てた、VPO設立150周年記念のうちの1枚。

ワルターのモーツァルトは、晩年のものより壮年期のNYPとのものがスキ。
「寄らば切るぞ」的なシャープさというか雄々しさというか。
特に「ハフナー」や「ジュピター」なんかにそれが顕著。

さて当盤。
スタイルとしては上記同様にクッキリ爽快な「プラハ」なのだけど、さすがにオケがVPO。
ワルターの覇気を艶めく音色でコーティング。
1楽章のコーダや終楽章の快速も、尖った感じは皆無。
煌めく踊りのように、香気をふりまいて走る。

マーラーも同様。
もともと「小型」の4番だけど、例えばその「小ささ」をそのまま素直に(=ある意味“古典的”に)表出するのと、例えば2楽章に見られるようなグロテスクさをチラ見させる解釈とでは、当然方向性が異なってくる。

ワルターは基本的に前者だと思うけど(1番なんかでもそうだし)、この曲でもまたVPOの“色”がその大きな助けとなっている。

1楽章で見せる自在なテンポ感。
全く無理のない、その自然さ。
2楽章の死神のヴァイオリンも、何とも蠱惑的。
そうなると、何より白眉は3楽章。
つまらない演奏だと退屈(or冗長)になるこの楽章が、ほとんど陶酔的なまでに夢幻の時間となる。
終楽章のソプラノはすっきりと見通しよく爽やか。

モノラルなので決してよい録音ではないが、貧弱さはなく、十分当時のVPOの爛熟した音世界を堪能できる。