通勤ミュージック~0906202009/06/24 01:29:52

*ブラームス&シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(ヌヴー、ドヴロウェン&ジュスキント/PO)、ラヴェル: ハバネラ形式の小品、スカラテスク:バガテル(ヌヴー、ジャン・ヌヴー)

言わずと知れた名盤……だけど初聴。
と言うか、ヌヴー自体が初聴。(汗
聴いたのはオーパス蔵。

個人的に、ヴァイオリニストは女性に好きな人が多い。
ムターしかり、キョンファしかり。
……ずいぶん対照的なタイプだけど。(苦笑

ヌヴーの演奏は、情熱への耽溺と旋律への清冽さが、矛盾せずに共存している。
両曲とも、カデンツァやアインガング(指ならし)ではむせ返るような熱気をそのままぶつけてくる。
でも、オケと合わすところでは決して放埓にならない。
ある種の「枠」の中で、きちっと引き締まった「うた」が奏でられる。

ブラームスの2楽章がまさにその典型。
ぴんと背筋の張った歌い方で、すごく心がこもっている。
ただ、3楽章はもう少し熱気のほうが前面に出ても……という感じがした。
イッセルシュテットとのライヴ盤(これまた有名)は、もっと「熱い」と言う人が多いので、いずれそちらも聴かなきゃ。

この音盤単体で言えば、シベリウスの方が名演かも。
何と言っても、先述した「熱気と知性の共存」がより高度に結晶化している。
この曲は、ボク的には「マイ初演」であるキョンファの録音を超えるものはいまだないのだけれど、それとは違う方向性、ということで評価大。

それこそキョンファだとほとんどケンカ腰というか、啖呵切るようにスリリングな3楽章も、腰を据えてじっくりと盛り上げていく。
一聴した時こそ、テンポ運びも含めて「大人しいかなぁ」なんて感じたのだけど、繰り返し聴くたびに、じわじわと熱を帯びながら終結へ向かう音楽作りの説得力にやられた。

フィルアップの2曲はコンチェルトとは違うヌヴーの一面が垣間見える感じ。
艶っぽいというか、色っぽいと言うか。
曲想に合わせてのことだとは思うけど、その違いもまた興味深い。

もう少し長生きしてくれたら、ステレオで名盤を残してくれたんだろうな……。
チャイコンとか聴いてみたかったなー。

通勤ミュージック~0904152009/04/15 02:35:35

*ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」、B.チャイコフスキー:テーマと変奏曲(フェドセーエフ/モスクワ放送響)

このブログだったかな? mixiだったかな? 「展覧会の絵」(ラヴェル版)には、どうも個人的にしっくりくる演奏になかなか巡り会えてない、みたいなことを書いたのは。

まあそうは言っても、チャイ5みたいに「理想の一枚」を求めて山のように聴き漁っているわけではないので、自分の努力が足りない面もあるにはあるのだろうけれども。(苦笑

あくまでボクの中では、だけど、この曲には煌びやかな管弦楽効果よりも、もっと深い「うた」と言うか、“声のないレクイエム”のような演奏を期待しているところがある。
もちろん、ハルトマンの遺作展だけで作られたワケでもない、ていう昨今の説は知ってるのだけど。
その意味では、原曲のピアノ版の空気感を感じさせる演奏を探しているとも言える。

ただ、矛盾するようだけど、ラヴェルのアレンジはやっぱりすごいと思う。
冒頭のTp.にしろ、「古城」のSax.にしろ、ラヴェルが我々に刻印した「色」は、なかなか拭い難いものがどうしてもある。

それらを踏まえた上でこの音盤。
なかなか良かった。
100%、ではないけれど、かなり自分が「こうあってほしい(or こうしたい)」演奏スタイルに、今まで聴いた音盤では一番近かった。

まずは最初のプロムナード。
抑えた響きからもう期待大。
朗々、流々と吹かれるのはダメなので。

ほとんど間を置かずに始まる「こびと」。
暴力的でないがゆえに、所々で見せるドキッとするような打楽器の打ち込みがかえって怖い。
そして最後のまくり!

「古城」の墨色感。
この曲に関しては、もっとフランス風のアンニュイを前面に押し出したスタイルもありだと思うけど、個人的にはこの音盤のように思索や内省を感じさせる方が好きかな。

入念なテンポ操作の光る「チュルリー」。
特に中間部の遅めのユーモアには、「その手があるのか……」と感心しきり。
自然と加速して元に戻るのもうまい。

「ヴィドロ」も、プロムナード同様、抑制された音色が哀しみを誘う。
でもこの曲に関して言えば、もう少し「怒り」の表情付けもあってもいいかな?

「カタコンベ」の静謐な空気。
その中にピンと張った緊張感。

「バーバ・ヤガ」は、こけおどしでない腰の据わった響きに満足。
もっとTimp.が派手でもいいかもしれないけど、そういった効果を志向してないんだろうな。

そして「キエフ」の流れるような「うた」!
ここでバリバリブリブリ鳴らしまくるだけの演奏のいかに多いことか。
まさにその対極。
でももちろん小粒なのでは全くなく、骨太にずっしりと歌い込む。

最後のパウゼの後、ぐっと落としたテンポで振り返る。
長調なのに胸を締め付けられるような存在感。
まるでコラールのような佇まい。

ちょっと驚きなのは最後のド派手な鐘の連打。
うーん……これは要らなかったかなぁ?(苦笑
ちょっと雰囲気壊している気がする。

フィルアップのB.チャイコフスキーの曲は初聴き。
あまりロシア-ソ連の響きを感じさせない、不思議な曲。

通勤ミュージック~0812192008/12/19 18:30:52

*ベルリオーズ:幻想交響曲(クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団)

1964年5月10日東京文化会館での録音(Altus盤)。
POとのスタジオ盤とは違う熱演でつとに有名。

20年くらい前にはKING系のSevenSeasで出ていた。
高校時代に友人が持っていて、借りて聴いた記憶がある。
自分のモノとしてきちんと聴くのはそれ以来。(時がたつのは速いねぇ。

改めて聴くと、もちろん熱演であることは事実だけど、「我を忘れた」タイプではないことに気づく。
プログラム・ミュージックであるこの曲に対し、「1人称の解釈」でなく「3人称」として臨んでいるのが大きな特徴、だと感じた。

大事なのは「客体」ではなくて「3人称」なこと。
表題音楽性をのっけから無視して臨むのが「客体」なら(それはそれで貫徹しているならありだと思う。スキではないけど……苦笑)、「物語」の中に没入するのではなく、一歩引いて「語る」視点を持っているのが「3人称」なのかな、と。

そこばかり注目されがちな、4・5楽章の燃え上がりもそう。
もちろんラストのコーダなんて、Tb.が落ちるほどの加速だけれど、それは「語り口」に熱がこもったからであって、決して“髪振り乱して”という感じではない。
同じ「熱演」でもミュンシュ/パリ管との大きな違いはそこ。
……ちなみにミュンシュ盤は大好きですよ。(まあボクの趣味から想像付くでしょうけど。苦笑

それこそがクリュイタンスならではのニュアンス(エスプリ?)。
ちょっとドライな録音からも滲み出る、あまりに魅惑的な、「粋」なんだと思う。
その意味では、この曲の「痛さ」(=ストーカーさ。笑)は払拭されているとも言える。
(そう考えると、ホントの意味で一番コワイのはクレンペラー盤だな)

あと注目すべきは、クリュイタンスの音像づくりの立派さ。
カラリとしたオケの音を生かしつつ、例えば1楽章序奏最後のファゴット強調みたいに、思わぬところで耳を引かせる。
4・5楽章の低弦・Timp.のここ一番での強奏もその流れでとらえるべき。

そして忘れちゃいけないのがアンコールの2曲の完熟っぷり。
「古い城」の惻々たる寂しさ。
その中に潜む品のあるセクシーさ。
「ファランドール」の完全無欠のアッチェルランド。
むしろ押し出し強く堂々と始まるのに、気づけば魔法のように加速していく。
わずか3分半の奇跡、いや永遠の3分半の奇跡。
こんな演奏できるなら、寿命が1年くらい縮んだって構わない。