「私は、マリア・カラス」/「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」2019/06/09 23:22:44

しれっと4カ月も前のこと書きます。
相変わらずダメダメですね。

2月4日。
早起きした(してしまった?)ので仕事前に渋谷立ち寄り。
滑り込みで「私は、マリア・カラス」観てきた。

「Bunkamuraラ・シネマ」に行ったのは多分初めて。
渋谷とは言え朝イチだから空いてると思ったら……朝の回、ご老体多すぎ……(苦笑)。

インタビュー映像使いつつも割と淡々とした演出。
中盤以降はオナシスとの関係にフィーチャー。
少し眠くなって意識飛んだ(苦笑)。

ただローマでの公演中止とか離婚騒動について聞かれてキレ気味なカラスがそのまま映しだされているのは興味深かった。
映画撮影のオフショットとか、カムバック公演の映像も良かった。

そういやぁステファノとの関係は全然触れられてなかったね(苦笑)。
MET支配人とのトラブルでブチ切れする映像は迫力満点!(笑)

音楽映画としては「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」の方がいいけれど(今作にも一部映像あった)、矛盾や葛藤を抱えた一女性を描いた作としては良きだなー。

ソプラノ歌手としてはヤノヴィッツが一番「好き」なんだけど、やっぱりカラスは別格。
それこそ歌わずに「立ってるだけでも」マリア・カラス!

ちなみに「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」観たのは2017年11月14日。
地元のホールで。
当時のツイッターから拾うと、以下のような感じ。

1958年パリ・オペラ座デビューの映像。
歌が素晴らしいのは当然で(今となっては些か古めかしいとしても)、やはりカラスは「演技」が上手いと痛感。
目線の使い方とか特に。

前半はノルマ、トロヴァトーレ、セビリアの理髪師から1、2曲ずつ。
後半はトスカの2幕。
前半は同じドレスなのに、ちょっとした仕草とかで役柄を「見せる」の素晴らしい。
「今の歌声は」のロジーナ、可愛く見えたもんね(笑)。

のだめカンタービレ最終楽章~後編【ネタバレなし】2010/05/21 20:31:30

2回目の「映画」カテゴリ。(苦笑
遅まきながら鑑賞。

漫画は日本編しか読んでいないので、比較は出来ない。
悪しからず。
まあこういう終わり方しかないよね、て感じではあった。

ダメオケを立て直す前編の方が「音楽映画」としては面白かったのだけど、まあこの作品は「成長映画」かつ「恋愛映画」でもあるので。(苦笑

とりあえずリストのファウスト交響曲がナイス選曲。
あと、ショパンのピアノコンチェルト第1番はやはり高ぶるね、てことで。
脳内でアルゲリッチの演奏に置き換えていましたが。(笑

なんか漫画は「終了」したあとも番外編やってるらしいから、さすがに映画はないにせよ、ドラマとかで番外編の実写化もあるのかしらん。(苦笑

映画「永遠のマリア・カラス」2009/02/12 01:26:28

音楽に関する映画(ないしは「映画の中の音楽」)について、見た後に感想を書くことにする。

音盤レビューほど力入れるつもりはないので、ホントメモ書き程度。
該当の映画を見ていない人にとっては??かもしれないけれど、まあ自分の覚え書き程度という認識なので、ご容赦を。

正月に見た「戦場のピアニスト」についてはタイミング逃したので今は書かないけど、きっとまた見るだろうからその時に改めて。

記念すべき(?)第一弾は先日深夜放送していた「永遠のマリア・カラス」。

*「永遠のマリア・カラス」 ( Callas Forever)
フランコ・ゼフィレッリ監督
2002年、イタリア=フランス=イギリス=ルーマニア=スペイン
ファニー・アルダン (Mairia Callas)/ジェレミー・アイアンズ (Larry Kelly)/ジョーン・プローライト (Sarah Keller)/ジェイ・ローダン (Michael)/ガブリエル・ガルコ (Marco)

・冒頭からオペラ鳴りまくりかと思いきや、ロックがガンガン鳴り響く「外し」。主人公であるプロモーター・ラリーの「物足りなさ」を象徴。
・劇中のカラスに日本公演を「ボロボロだった」と言われるのは辛いな。それってゼフィレッリ自身の見解とイコールってことでしょ?(苦笑
・ラリーがゲイである意味。ゼフィレッリの投影であることは当然だとしても、やはりカラスとの間に流れるのが「男女愛=恋情」でなく「友情(=戦友?的な)」なんだと受け手に強く意識づけるためだろうね。
・そう思って見るとピクニックのシーンが妙に切ない。
・その逆に、「カルメン」収録中に罵り合う2人はたまらなく幸せそうに見える。(笑
・個人的には音楽ライター・サラの存在がこの映画で光ってる。「私がマリア・カラスになれるなら、何度でも地獄に堕ちるわ」。普通であることの、この上もない難しさ。
・大きなフィクションの中に、小さな真実を混ぜることでそのフィクションが説得力を持つ。
・カラスがカルメンを、レコーディングしたけど舞台で演じたことはない、とか。
・実はホントにこの映画のように、「トスカ」で演技をするカラスに絶頂期の声を被せる企画があったとか。
・その「トスカ」を史実(?)とは逆にカラスが最後に提案するくせ玉。夢枕に立つ絶頂期の自分自身の“歌に生き、恋に生き”。これほど残酷なことがあるだろうか?
・1977年という時代。テクノロジーと商業主義が並列して加速していく。
・現代の目線から見たら、これって昨今当たり前のように行われている「編集ライヴ」とも通じる問題があるんじゃないか?
・新しい技術がくれた美しい幻。それに染まるべきか否か??