通勤ミュージック~1001102010/01/10 16:05:19

*ベートーヴェン:交響曲第4番・第5番(コンヴィチュニー/ライプチヒ・ゲヴァントハウスo.)

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

コンヴィチュニーの全集も中期へ突入。
まずは4番。
この曲の「マイ初演」がクライバーで、2つ目が確かフルトヴェングラーだった。
……ある意味、この曲の「素直な本来の姿」から遠いのばかり聴いてたとも言える。(苦笑

もちろんその後色んな演奏を聴くことで、その“呪縛”からは少しは自由になってきたけど、やっぱり強烈な刻印はどうしてもいまだにある。
その意味から言えば、コンヴィチュニーの音盤はまたもや爽風を耳に届けてくれた。

神秘的な原初の空気(=フルトヴェングラー)や張りつめた緊張感(=クライバー)とは違う、そっと楽曲に手を差し出すような序奏。
主部も決してアグレッシヴになることなく、木訥ささえ感じられる進行。
きっと学生時代とかなら「物足りない」と感じたのかも知れないけど、素朴な中ににじむ誠実な“仕事(Werke)”っぷりの出来映えにひたすら感じ入る。

そうなると2・3楽章が良いのは必然。
クライバーのような艶っぽさはないかもしれないけど、「むしろそれって必要なのか?」と思わせるナチュラルさ。
しずしずと、まさに「巨人の間の乙女」の趣。

4楽章もじっくりと進めながら、諧謔性やリズムへの志向を決して忘れていない。
クライバーの「曲芸」スレスレの緊張感、あれはあれで驚嘆モノだけど、みんながすべきではないよなーと言う気がする(スキだけど)。

5番が堅牢なスタイルを見せてくれるのは予想どおり。
まさに仰ぎ見るような立派さに満ちた1楽章。
闘争のドラマは薄いかもしれないが、ひたすら音像で勝負。

2楽章の主旋律が、こんなに慰めに満ちた美しさをたたえていたなんて。
手垢のついた「名曲」という偏見をぬぐい去るひたむきさ。
3楽章の後半、ブリッジへ向かう前、弦のピッチカートの丁寧な処理。
そういった細部への気配りが全体を支配する(「神は細部に宿る」!)。

しかし何より圧巻なのは終楽章。
確かにそれまでの3楽章が誠実とはいえ地味だ、と言われればそうかもしれないが、終楽章は違う。
それまで抑えていたものをすべて押し出すような力感にあふれ、しかし節度は失わない。

朗々と吹き鳴らされるトロンボーン。
キラキラと粒立ちするピッコロ。
終楽章でこれらの楽器が加えられた「意味」がはっきりと目に見えて分かる。

徒に熱くなったりはもちろんしないが、それでも十二分に「達成感」を感じさせる熱演。
この曲のコンセプトであり、そしてある意味安易なコピーかも知れない「苦悩を通り超えて歓喜へ至る」という言葉が、堂々と胸を張って音で示される。

正しいことは恥ずかしくなんかない。
むしろ、恥ずかしいと思うことが恥なんだ。
青臭くも、そんなことを感じさせる音盤。

第5の終楽章でウルッと来るなんて、滅多にない体験なので自分的にも驚いた。
下手な演奏がやると冗長でしかない提示部のリピートが、まさに胸に迫ってくる。
「かくあるべし」との思いを持って。

いやー、まだまだ良い演奏というのはいっぱいあるんだね。

狩猟日記~1001202010/01/20 17:10:36

・マーラー:交響曲第5番(レナード・バーンスタイン/NYP)
・チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(レナード・バーンスタイン/NYP)

いずれも裏青盤。
前者が1974年のライヴで、後者が1986年のライヴ。
裏青盤の未聴ディスクも結構増えてきたな。(汗