マーチでアゲアゲ。2010/04/02 00:32:14

*グレート・マーチズ(バーンスタイン/NYP)

新年度、さらには転勤に伴う新生活ということで、一発気合を入れるために、未聴CDの消化ではなく、敢えてこの1枚。

先日までの寒さが嘘のように、暑いくらいの今日の東京。
その「暑さ」に引けを取らぬレニーの「熱さ」。

さんざ自分が中学校の頃に吹奏楽団でやったスーザの行進曲や「錨を上げて」が、イケイケドンドンでぶっ放される。
特に「星条旗よ永遠なれ」。
こんなに刺激的だったっけ??(笑

いわゆる“クラシカルな”楽曲でもそのスタイルは変わらない。
「3つのオレンジへの恋」のピリピリするようなテンション。

「ルール・ブリタニア」とか「ルイ・マルセイユーズ」みたいな短い曲だと、なおさらその勢いが痛快。
当時のレニーのいわゆる「録って出し」が間違いなくプラスの方向に働いてる。

アイーダの、屈託のない(無さすぎる??)音抜けの良さ。
オペラのワンシーンなのではなく、あくまでも一つの行進曲として立ってる。
後半のテンポ上がるとこのドキドキ感!

最初からむやみに熱い「酋長の行進」。
じっくり盛り上げる? 何それ?て感じ。(笑
抑え切れぬ熱気が奔流となって、終結に向かってなだれ込む。
なんてクドい見栄きりと、その後の加速!!

もう、どうしてくれるんだ。
出勤前に必要以上のアドレナリン出ちゃったじゃないか。(苦笑
久しぶりに聴いたけど、やっぱレニーの美徳ってこういうことだと思うよ。

通勤ミュージック~0910242009/10/24 18:10:04

*フランク:交響曲、ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、フランク:プシュケとエロス、ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」 (メンゲルベルク/ACO)

オーパス蔵盤。
ローマの謝肉祭は別音盤で持っていた気がする。(たぶん。苦笑

ワタクシのベスト交響曲の一角を担うフランク。
それって何度か書いてますよね? 書いてなかった??

まさにメンゲルベルク節。
この曲をドイツ的な構造美、あるいは止揚する音楽として捉える解釈ではもちろんなく、ひたすらウネウネと曲が息づき、生まれて成長していくのを、間近で息を殺して見詰めているかのよう。

アゴーギクはもうどこでもかしこでも全開。
むしろしていないところを探す方が難しいくらい。(大げさ??

1楽章は、もうこちらが「ここでガクッと落としてくれる(or巻いていく)んだろうな」という期待通り、否期待以上に乾坤一擲のルバートをぶちかます。
しかしそれが(時にメンゲルベルクに見られる)古さを感じることは一切なく、どこまでも滑らかに曲を紡いでいく。

そして2楽章のイングリッシュホルンのソロにおけるテンポダウン。
息絶え絶えの人がさらに重い荷を背負わされるような、涙も出ないような悲しみ。
そしてその後の弦の刻みの身の変わりの早さ!!
管の完熟したサウンドは弦の乾いた響きと好一対。

そして1楽章とは一転、がっしりとした始まりの3楽章。
しかしポルタメントはうねりまくり、なぜか気付くと自然に加速している。
もう自然とメンゲルベルクの魔術に乗せられている。
最後の祈りのテーマで見得を切らないのは意外だけど(というか、そこでためる演奏が個人的に好きなだけ。苦笑)、その脇目もふらない速度は、これはこれでアリだという説得力を持って迫ってくる。
そしてラストのトランペットのマルカート!!

音の悪さ? そんなの忘れてましたよ、て言うくらいお腹一杯。
またフランクの名盤に新しい1枚が加わった。

ドビュッシーは一転、すっきりと流す。
フルートの清冽さと速めのテンポに説得力。
もっとトロトロなのかと思っていたので驚いたし、白昼夢的な曖昧さはないけれど、逆にどちらかと言えばこの曲が苦手なワタクシにとっては理想的な解釈。

「プシュケとエロス」も同様。
速めのテンポだし、当然(苦笑)頻発するポルタメントも、なぜかいやらしく感じない。

「ローマの謝肉祭」。
いたずらな熱狂ではなく、明晰で知性を感じるクリアさ。
管楽器のタンギングの歯切れの良さ。
この時期のACOって、当時のオケの中ではべらぼうに上手かったのではないか、と感じる。
トスカニーニとNBCもそうだけど、やはりカリスマの元におけるピリピリした関係、というのはそれが端的に音に現れるよね。

通勤ミュージック~0812192008/12/19 18:30:52

*ベルリオーズ:幻想交響曲(クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団)

1964年5月10日東京文化会館での録音(Altus盤)。
POとのスタジオ盤とは違う熱演でつとに有名。

20年くらい前にはKING系のSevenSeasで出ていた。
高校時代に友人が持っていて、借りて聴いた記憶がある。
自分のモノとしてきちんと聴くのはそれ以来。(時がたつのは速いねぇ。

改めて聴くと、もちろん熱演であることは事実だけど、「我を忘れた」タイプではないことに気づく。
プログラム・ミュージックであるこの曲に対し、「1人称の解釈」でなく「3人称」として臨んでいるのが大きな特徴、だと感じた。

大事なのは「客体」ではなくて「3人称」なこと。
表題音楽性をのっけから無視して臨むのが「客体」なら(それはそれで貫徹しているならありだと思う。スキではないけど……苦笑)、「物語」の中に没入するのではなく、一歩引いて「語る」視点を持っているのが「3人称」なのかな、と。

そこばかり注目されがちな、4・5楽章の燃え上がりもそう。
もちろんラストのコーダなんて、Tb.が落ちるほどの加速だけれど、それは「語り口」に熱がこもったからであって、決して“髪振り乱して”という感じではない。
同じ「熱演」でもミュンシュ/パリ管との大きな違いはそこ。
……ちなみにミュンシュ盤は大好きですよ。(まあボクの趣味から想像付くでしょうけど。苦笑

それこそがクリュイタンスならではのニュアンス(エスプリ?)。
ちょっとドライな録音からも滲み出る、あまりに魅惑的な、「粋」なんだと思う。
その意味では、この曲の「痛さ」(=ストーカーさ。笑)は払拭されているとも言える。
(そう考えると、ホントの意味で一番コワイのはクレンペラー盤だな)

あと注目すべきは、クリュイタンスの音像づくりの立派さ。
カラリとしたオケの音を生かしつつ、例えば1楽章序奏最後のファゴット強調みたいに、思わぬところで耳を引かせる。
4・5楽章の低弦・Timp.のここ一番での強奏もその流れでとらえるべき。

そして忘れちゃいけないのがアンコールの2曲の完熟っぷり。
「古い城」の惻々たる寂しさ。
その中に潜む品のあるセクシーさ。
「ファランドール」の完全無欠のアッチェルランド。
むしろ押し出し強く堂々と始まるのに、気づけば魔法のように加速していく。
わずか3分半の奇跡、いや永遠の3分半の奇跡。
こんな演奏できるなら、寿命が1年くらい縮んだって構わない。