通勤ミュージック~0903142009/03/14 23:11:54

*ロシア序曲集(プレトニョフ/ロシア・ナショナル管弦楽団)
【収録曲】
1. 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(グリンカ)
2. 歌劇「イーゴリ公」序曲(ボロディン)
3. 祝典序曲op.96(ショスタコーヴィチ)
4. 歌劇「セミョーン・コトコ」序曲(プロコフィエフ)
5. 歌劇「コラ・ブルニョン」序曲(カバレフスキー)
6. 歌劇「皇帝の花嫁」序曲(リムスキー=コルサコフ)
7. 歌劇「ホヴァーンシチナ」前奏曲(ムソルグスキー)
8. 序曲ヘ長調(チャイコフスキー)
9. 祝典序曲op.73(グラズノフ)

ロシア~ソ連の名作曲家の歴史を俯瞰するかのような収録曲。
それ自体はすごく素晴らしくて、選曲の妙に感心するし楽しめもする。

じゃあ、演奏はどうなの、て話。
プレトニョフ(&ロシア・ナショナル管弦楽団)って、チャイコフスキーの交響曲でもそうなのだけど、いわゆるベタに想起される「ロシア的」なモノから(必要以上に?)距離を置くスタンスを取っているかのように感じる。
つまりは、濃厚な歌いっぷりであるとか、バシバシ鳴る金管であるとか……がほとんど無く、整然と整えられた音列がはみ出すことなく優等生的に並んでいく。

で、平たく言やぁ、それが物足りないワケっすよ。(苦笑

確かにそこには洗練であるとか、この21世紀の現代(録音時はまだ20世紀だけど。苦笑)ならではの「国際的に標準化された」響きがあるのかもしれないけど、「お国モノ」でそんなことでいいの?という気持ちを持ってしまう(その発想=「お国モノ」自体がオールドファッションなのかもしれないけど)。

それが一番顕著なのが冒頭の「ルスラン」。
ムラヴィンスキー張りの超快速なんだけど、ムラヴィンスキーにあった、息詰まるような鮮烈さはなく、どこか曲芸めいた匂いを感じてしまう。
これまたムラヴィンスキーの名演が思い出される「ホヴァーンシチナ」も同様。
絹練りのようななめらかな音は、確かに美しいのだけど、何かが物足りない。

もっとも、全てに批判めいたことを感じるわけではもちろんない。
例えば同じ「超快速」でもショスタコの祝典序曲は、しなやかに躍動する肉体を見ているような快楽が演奏からこぼれ出ていて、非常に気持ちいい。
「だったん人の踊り」に比べてマイナーだけど、ウキウキするようなメロディーと空気感が個人的には評価大な、歌劇「イーゴリ公」序曲で見せるニュアンス豊かな歌わせっぷり(もちろん「土の匂い」ではなくあくまで上品だけど)も耳を引いた。

あと、全体にマイナーな曲(最後の2曲のように)の方が、むしろ彼らの演奏の特質を生かすのには向いているのかもしれない、なんて感じたりもした。
こけおどしで圧倒するのではなく、ただ「きちんと」音像を描くことで、初めて聴く際に余計な先入観を植え付けないということは、ある意味姿勢としては正しいのかとも思う。
グラズノフの祝典序曲なんてまさにそれで、こんなチャーミングな曲を教えてもらえたことに、素直に感謝したい。

……ていうか、グラズノフは交響曲全集をいつか押さえねばならない作曲家なんだよな。
ロシア東欧好きとしては。(苦笑

プレトニョフと言えば、ベートーヴェンの交響曲全集が出たとき、すごくセンセーショナルな扱いを(メディアや店で)されていたけれど、ボクとしては視聴でチラ聴きしただけだから何とも言えない。
ただエキセントリックなのとは違うのかな……という感じはしたけれど。

むしろ、同じベートーヴェンでもヴァイオリン協奏曲をクラリネット版に編曲したトンデモ盤がああったやに記憶しているけど、それも激しく気になるな。(苦笑

千夜一夜、もっと(その3)。2009/02/10 01:13:01

・バーンスタイン/NYP
久々に聴いたけど、やっぱりすごい。
NYP時代のベスト5の一角を間違いなく担う名盤。
NYP時代のマーラーやガーシュウィンが今でも国内盤で現役なのは嬉しいことだし、もちろんそれらの価値だって十二分にあるのは分かってるんだけど、このシェヘラザードだってその列に加えられてしかるべし。

レニー/NYP時代のタイトな録音スケジュールが生み出した、あの「一発録って出し」のテンションって大きな魅力の一つだけど、この音盤はその要素を持ちつつ、それだけに留まらない「深み」(ある意味当時のレニーとしては意外なほどに)が随所で見られて、今なおこの曲の代表盤として挙げても恥ずかしくない。

まずは第1楽章。
ロストロ盤と同じく、大柄なシャリアール王の暴力的な主題。
それに分かりやすく対比されるソロVn.の艶やかさ。
コリリアーノの美音は、カラヤン盤のシュヴァルベとタメ張れる艶やかさ。
この楽章だけでなく、各所で隠し味のように利かされるポルタメントがふうわりと耳を包む。

そして楽器の出し入れに見られる細かいニュアンス!
例えば海原の頂点でのFl.のトリル。
テンポの出し入れも勢い一辺倒ではなく、揺らぎと加速とが見事にバランスを持っていて、曲想に沿った自然さ。

その「自然な」テンポ操作がさらに魅力を爆発させるのが2楽章。
Fg.とOb.のソロで見せるたゆたい。
その後の弦のpizz.での加速と減速(さらに漸強漸弱!)。
Tbの見栄切りのあと、沈み込むTp.ソロ。
まさにパッションの発露としか言いようのない、弦合奏のテンション高い弾きっぷり。
そして終結の加速で見せる鮮やかな身のこなし。

NYP時代のレニーがドライ?
3楽章の潤いを聴け!
細やかで艶やかなレガート。
主要主題のアウフタクトで見せる、息をのむようなため。
後年のレニーが見せる、濃厚な「うた」の端緒がすでにもう見えている。
乾いたTimp.の響きの後にくる再びのアウフタクトの切なさ。
チェロのメロディーの後ろにはレニーの声が明らかに聞こえる。
全てのルバートが曲の呼吸とレニーの気持ちと一体化している、幸せな瞬間。
幕切れの、憂愁すら漂わせる深み。

それが一変。
4楽章で見せる「いつもの」レニー&NYPらしさ!
勢い込んだ冒頭から飛ばしていく。
前に前に、もう我慢できない気持ちがほとばしるかのように、ひたすらムチを入れてかっ飛ばすのに思わずドキドキ。

そのまま難破の頂点まで手に汗握るスピードで追い立てておきながら、シャリアール王の主題でガクッと見栄を切り、現実(=シェヘラザードの語り)へと「自然と」減速していく。
強引さのまったくない、完熟しきったテンポ運び。
最後の2人の融和で見せる、名残惜しい余韻。
「2人の物語は、まだ続くのです。」

あと面白いのは、ストコフスキーほどではないにしても、1~4楽章をほとんど続けて演奏していること。
特に3、4楽章の間は続きが気になるシャリアール王の気持ちそのままのようでツボ。
気を持たせることでじらすロストロ盤とは好対照。

とりあえず、いったんはこれで最終回。(笑
なんかこうやって一気呵成に同じ曲をまとめ聴きするのも面白いな。
その間未聴盤更新が止まるのが難だけど。(苦笑

いつか聴いてみたい(=買ってしまうであろう)その他の音盤たち。
・チェリビダッケ/MPO(ただし正規盤ではなくミーティア盤。PACOでも出てるらしいが音悪いとか。まあ気長に)
・コンドラシン/VPO
・ミュンフン/パリ・バスティーユo
・ゲルギエフ/キーロフ歌劇場o

どうでもいいけど、「シェヘラザード」か「シェエラザード」か。
個人的には前者が好みなのでその表記にしたんだけど。
ま、何語読みがいいかの違いなんだけど。

千夜一夜、もっと(その2)。2009/02/06 15:25:59

アップロードしたと思っていたら下書きのままだった。(汗
それでは第2弾、コッテリ編。(笑

・ロストロポーヴィッチ/パリ管弦楽団
1楽章冒頭の気宇壮大な見栄切り!
シャリアール王の暴君っぷりを分かりやすく表出している。
まるで歌舞伎のような「間」も活きている。
シェヘラザードのテーマも同様。
ホントに音が「語って」いる。

2楽章のテンポ操作もいちいちツボ。
中間部のTb.ソロ、弾むような豪快さ……そして輝くTp.。
Cl.ソロ背後の弦ピッチカートの迫る感じ。

楽章間をたっぷり取る、その気の持たせ方が心憎い。
シャリアール王の待ちきれない気分が伝わるかのよう。

3楽章がサラサラ流れてしまうのがちょっともったいない。
4楽章主部の駆け抜ける感じが爽快。

・ストコフスキー/LSO
とにかくグイグイと太い筆致で進めていく剛毅さ。
そしてその中に、これでもかと盛り込まれる「芸」。
その「芸」に気持ちと命をこめている真摯さ。

いちいち挙げるときりがないけど……、

1楽章、冒頭のvn.ソロのオクターブ上げ。
海原の場面、後半のシンバルの一撃。

2楽章のシロホン。
もうこれに慣れると他のが薄いオーケストレーションに聞こえてしまうという、恐ろしいまでの中毒性!!(爆笑

3・4楽章のスネアの響線オフによる乾いた響き。

4楽章冒頭の低弦E(2回目)の強奏!
これは間違いなく、曲想を真の意味でえぐり出している。
他の演奏がどうしてこうしないのか、疑問さえ感じる。
そして後半はドラ鳴りまくり!
更にスネアのてんこ盛りの付加。
難破のラストに付加された、哀しく響くTp.のミュートの一撃……。

でもこの音盤で一番素晴らしいのは、3楽章の艶やかに色気滴る弦。
とろけるポルタメントと弱音無視。
深ーい呼吸と長ーいフレージング。
そして名残惜しげな最後のリタルランド。
ホントのセクシーって、こういうこと。

レニー盤については「その3」で(まだ続くのか!)。

千夜一夜、もっと(その1)。2009/02/01 17:21:54

ストコフスキー/RPO盤に影響され、「シェヘラザード」を聴き直すキャンペーン(笑)展開中。

ちなみにストコフスキー/RPOを除く手持ちは
・デュトワ/モントリオールso
・カラヤン/BPO
・ムーティ/PhO
・ロストロポーヴィッチ/パリo
・ストコフスキー/LSO
・レニー/NYP
ただしムーティ盤は実家にあるのですぐに聴けない。(苦笑
とりあえず「その1」は正統系(?)の2枚から。
改めて聴くといろいろ発見があって楽しい。

・デュトワ/モントリオールso
とにかく声高でなく、極彩色でなく。
ソロもあくまで全体に奉仕する感じ。
前面に出てくる「競演」でなく「共演」タイプか。
そのインティメートな感じに、中間楽章こそ物足りなさを感じるけれど、逆にそれが終楽章では総力による達成感を作り上げている。
あと、全曲を通じての遅めのテンポが、荒れない丁寧な仕上げを支えている。
ホントはこういう音盤こそ「マイ初演」にすべき演奏なのかもしれないな。(笑
ちなみにボクの「マイ初演」はムーティ盤。

・カラヤン/BPO
今回再発見の収穫が一番大きかった一枚。
自分の中での「カラヤン・ルネサンス」は続いてるなぁ。
まあ50~60年代のカラヤンは、彼を毛嫌い(苦笑)していた学生時代でも割と好きだったんだけど。
ていうか、苦手なのは多分70年代。

とにかくシュヴァルベのソロが素晴らしすぎ。
この曲のVnソロを「協奏的に」解釈するスタイルの中ではトップクラスの美しさ!
もちろん「カラヤン美学」的な美しさではあるのだけど、さすがシュヴァルベ、時にその枠からはみ出してでも「自分の音」を見せているのが(あるいはカラヤンもそれを許しているのが)すごい(例えば終楽章冒頭のダブル奏法の勢い込んだ音!)。
シェヘラザードのテーマが出る度に、ほとんど悶絶しそうになるくらい濡れた音が耳を潤す。
ある意味、エロぎりぎりの線(笑)で気品を保つ。
これじゃシャリアール王も殺せないわな。
最後の高いE音の清澄さにはため息。

カラヤンの解釈は、物語性よりも「交響組曲」であることを前面に押し出しているし、ソロ楽器もその中でカラヤンの「支配下」にあるから、「めくるめく音の饗宴」といった趣ではない。
でも、ここぞといったところで見せるアゴーギク(大抵の場合、グッとコブシを入れてテンポを落とす)が堂に入っていて(特に両端楽章)、本人が意識している以上にドラマを作り出している。

そしてなんでこの素晴らしさに気付かなかったんだろうと、今回一番猛省したのが2楽章。
本来ならばそれこそソロ楽器の競演(=饗宴)で絵巻のような愉しさを作り出せるこの楽章で、ほとんど耽美的ともいえるくらい抑制された表情が全体を支配する。
前半なんてほとんど官能的……なのにその中に一抹の寂寥さえも漂わせている。
3楽章ならいざ知らず、この楽章でこんな胸を突くような解釈が出来るなんて……。
さらに終結部のテンポ操作とクレッシェンドに粟立つ。

3楽章はいかにもカラヤンなゴージャスさ。
とろける弦合奏のめいいっぱいの歌。
ほとんどアラビアのロレンスのテーマ(爆笑)。
ハープのあざといまでのクリアさ。

しかし、唯一の録音ていうのが惜しまれる。
70年代、そして晩年のスタイルでも聴いてみたかった気がする。

安住しない、こと。2009/01/30 03:01:28

*ストコフスキー・スペキュタクラー(2枚目)

1.R.コルサコフ:「ロシアの復活祭」序曲(CSO)
2. 同:交響組曲「シェヘラザード」(RPO)
3. ラフマニノフ:ヴォカリーズ (アメリカso. モッフォ<S>)

1枚目のバッハ・ヘンデルに比べるとおとなしく感じてしまうけど、まあ原曲の管弦楽法の味付け自体が全然違うんだから当たり前。(苦笑

ストコフスキーの「シェヘラザード」は、あのやりたい放題のLSOとの録音はずっと前から愛聴していて、自分的にはこの曲の3大名盤の一つ(あとはロストロポーヴィッチとレニー!)。
RPO盤は「LSO盤よりは穏やか」みたいな評があちこちでされていて、気にはなっていたけどやっと聴くことができた。

確かにLSO盤よりは楽器付加とか少なくて、コッテリ感は減ってる(それでも普通の演奏より遥かにあるけど……。2楽章で出てくるシロホンはやっぱりツボ。笑)。
その意味では「意外に」この曲の(「面白さ」や「楽しさ」よりも)美しさを素直に描いているとも言える。
特に3楽章でそれが顕著。

ただ、そういった「変化」が、普通ならそうである「晩年ゆえの抑制」だとはボクには思えない。
LSOとの録音から約10年しかたっていないから、という時間の問題だけでなく、「前と同じことはしたくない!」という強い意志の現れだからこそ、じゃないか?

単に演奏そのものの好き嫌いでいえば、断然LSO盤の方だけど、このRPO盤も、一見(以前より)大人しく見える表情に「芸術の敵は安住」とも言わんばかりのストコフスキーの思いがにじみ出ているようで捨てがたい。

例えば、1・2楽章と3・4楽章を続けて演奏する新解釈。
特に前者は効果的で、何だかむしろこうする方が自然なのでは、という気にさえさせられる力を持っている。

……ていうか、やっぱり「シェヘラザード」ってよくできた曲だなぁと関心しきり。
確か全部で10種も持っていなかったはずだけど、色々引っ張りだして聴きたくなってきた。
そんな気にさせる力が、ストコフスキーにはやっぱりあるんだと思う。

「ロシアの復活祭」ももちろんカラフルで申し分ないけれど、むしろフィルアップ的な「ヴォカリーズ」が聴きもの。
ドゥベンスキー編曲の管弦楽伴奏つきソプラノ独唱版。
アンナ・モッフォの抑えた歌唱にそっと寄り添うようにオケをつけるストコフスキー。
この繊細さもまた彼の一つの一面。