2021年8月の #ミチョランマ 消化 ― 2021/10/28 21:21:23
また2カ月空いてしまった。
すいません(汗)。
前回は潔く2カ月分を1エントリで書いたけど、今回は分けます(滝汗)。
しかし8月、1枚しか聴いてねえのかよ……。
もちろんミチョランマ以外を聴いてることもあるので、これしかクラシック聴いてない、てことはないんだけど(何か言い訳がましい)。
*28枚目
ミルシテイン/パガニーニアーナ
ナタン・ミルシテイン
ジョルジュ・プルーデルマッハー
ジェミニアーニ:ソナタ イ長調
シューベルト:華麗なるロンド ロ短調
ミルシテイン:パガニーニアーナ変奏曲
リスト:コンソレーション第3番 変ニ長調
ストラヴィンスキー:ロシアの歌
コダーイ:巷に雨の降るごとく
ムソルグスキー:ホパーク
全部で40分しないくらいのアルバム。
オリジナルLP通りなんだろうけど、時代を感じさせる。
でもまあ、ある意味このCD時代に贅沢といえば贅沢なのかも(笑)。
でもまあ、ある意味このCD時代に贅沢といえば贅沢なのかも(笑)。
セッション録音だけど、まるでミニコンサートを聴いているかのよう。
楽曲がバラエティに富んでいて高い満足度をくれる。
特にコンソレーション。
まさに「歌」っていて本当に素敵。
自作自演の「パガニーニアーナ」。
初めて聴いたのはクレーメル盤だった。
初めて聴いたのはクレーメル盤だった。
アレより穏やかというか「攻めてない」印象。
全く違う曲にすら聞こえる。
古き名曲たちの中にあっても、違和感が全くない。
気になってクレーメルのアルバムも久しぶりに引っ張り出して聴いてみた。
やっぱり同じ曲が別のように響く。
もっとソリッドで冷んやり。
そもそもクレーメルのアルバムは現代曲ばっかで、その中に置かれているからというのもあるけど。
同じ曲を「過去から続く」立ち位置で捉えるか、「今から振り返る」視座で見据えるか。
どちらかと言えば同時代のヴァイオリニストの中では「クール」なはずのミルシテインでも、やはり自作曲は「スタンダード」にも伍す魅力をもって奏でたかった……?なんてのは穿ち過ぎかしら(笑)。
余談だけど、メンコン&チャイコンの「マイ初演」はミルシテイン、アバド/VPOのグラモフォン盤。
両曲ともこの後色んな盤を聴いて(特に後者。笑)、今では必ずしも「一番」なわけではないけれど、やっぱり大切な録音。
そしてこれは完全に「刷り込み」だとは思うが、メンコンのコーダでソロヴァイオリンが「Gis-E」で駆け上がる所のグリッサンドはいまだにこの録音が一番しっくり来る……というか他のでは物足りない(笑)。
2021年5月の #ミチョランマ 消化 ― 2021/06/30 00:34:38
個人的に「翌月に前月の『#ミチョランマ 消化』を書く」をルールにしているのだけど。
今回ぎりぎりですな……(苦笑)。
*20枚目
テレマン:協奏曲集
ヘンデル:水上の音楽
ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団
テレマンはオールドスタイルではあるけど、明晰でパキパキとした好演。
さすがはフィラ管の凄腕ソロイストたち!
まさに面目躍如、といった感。
水上の音楽は、オーマンデイとハリスの2種類の編曲を収録。
こちらもオールドスタイルだからやむを得ないのだけど、それにしてももっさりというか腰が重い。
どちらかと言えばオーマンディアレンジの方が好み。
*21枚目
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3楽章
プロコフィエフ:ピアノソナタ 第7番
ヴェーベルン:ピアノのための変奏曲
ブーレーズ:第2ソナタ
マウリッツォ・ポリーニ
言わずと知れた名盤。 ペトルーシュカはやっぱりすごい!
汗ひとつかかず軽やかに、オケと同じくらいの(いや、越えている?)情報量が迸る。
ポリーニは正直好きな演奏家ではないけれど、これとさすらい人幻想曲はホント圧倒される。
そして個人的にはプロコフィエフって苦手だけど、この演奏だとすんなり受け付けられる。
てか、7番の終楽章はやっぱりぶち上がる!
ヴェーベルンはさておき、ブーレーズの曲はまだまだ私には消化できません(苦笑)。
ちょっと5月はおサボり気味だったと反省(実は6月もなんだけど)。
年内100枚消化、厳しくなってきたなぁ(汗)。
ライヴのカラヤンはガチ。 ― 2010/10/02 04:31:59
珍しく購入早々に音盤聴いた。
カラヤンのPalexa盤。
ベト7、特に終楽章、これはホンマすごいわ……。
もう1楽章からずっと金縛り。
脇目もふらずに突き進む圧倒的なパワーのBPOに、聴いてるこちらが薙ぎ倒されてる。
もう何書いてるか自分でもワケ分からん。
ハルサイもすごい。
マッシヴな管、ゴリゴリの弦、びりびり来る打楽器。
やっぱライヴのカラヤンはガ(rya
カラヤンのPalexa盤。
ベト7、特に終楽章、これはホンマすごいわ……。
もう1楽章からずっと金縛り。
脇目もふらずに突き進む圧倒的なパワーのBPOに、聴いてるこちらが薙ぎ倒されてる。
もう何書いてるか自分でもワケ分からん。
ハルサイもすごい。
マッシヴな管、ゴリゴリの弦、びりびり来る打楽器。
やっぱライヴのカラヤンはガ(rya
デ・プロフンディス(=深き淵より)。 ― 2010/05/20 18:10:08
*ケーゲル/管弦楽小品集(ケーゲル/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団)
・アルビノーニ(ジャゾット編):アダージョ
・グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」より“精霊の踊り”
・グリーグ:2つの悲しき旋律
・ヴォルフ=フェラーリ:歌劇「4人の田舎者」より間奏曲
・シベリウス:悲しきワルツ
・グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
・ムソルグスキー(R.コルサコフ編):歌劇「ホヴァンシチナ」第4幕間奏曲
・フランツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」間奏曲
・レオンカヴァレロ:歌劇「道化師」間奏曲
・ファリャ:バレエ「恋は魔術師」より“火祭りの踊り”
・エルガー:威風堂々第1番
・ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ
昔から評判の高いケーゲルの小品集。やっと聴いた。
やはりアルビノーニのアダージョが圧倒的。
評判以上にコワイ演奏。身も世もないとは、まさにこのことか。
「悲しい」とか「憤り」とか言った概念すらここにはない。
絶望でさえ希望の対概念でしかないとすれば、ここにあるのは本当の無色透明の虚無。
主旋律の弦よりも、チェンバロとオルガンに耳を奪われる。
まるで鉛の棒を呑まされるように響く低弦。
気持ちゆっくりのテンポ、常に足元を「見えない何か」にわし掴みされているように不安げなフレーズ。
雨降りの出勤中に聴いて心危なくなるのだから、落ち込んで酒飲んでる時なんかに聴いたら、絶対あかん。
それくらい恐ろしい。
威風堂々のテンポ設定が異様過ぎる……しかしそれを必然であるかのように聴かせてしまう恐るべきケーゲル。(汗
繰り返される急加速と急減速。
普通なら、行進曲としてあるまじき姿。
でも受け狙いや効果を期待しているのではなく、何かに取り付かれたような鬼気迫る空気が支配する。
素っ気ないくらいサクサクと進む中間部。
サーカス・ポルカにおける「軍隊行進曲」の引用のグロテクスさ。
シニカルとはこういう事か。
他の曲も逸品。
特に2~5曲目で見せる透き通った美しさは、他では代えがたい。
・アルビノーニ(ジャゾット編):アダージョ
・グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」より“精霊の踊り”
・グリーグ:2つの悲しき旋律
・ヴォルフ=フェラーリ:歌劇「4人の田舎者」より間奏曲
・シベリウス:悲しきワルツ
・グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
・ムソルグスキー(R.コルサコフ編):歌劇「ホヴァンシチナ」第4幕間奏曲
・フランツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」間奏曲
・レオンカヴァレロ:歌劇「道化師」間奏曲
・ファリャ:バレエ「恋は魔術師」より“火祭りの踊り”
・エルガー:威風堂々第1番
・ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ
昔から評判の高いケーゲルの小品集。やっと聴いた。
やはりアルビノーニのアダージョが圧倒的。
評判以上にコワイ演奏。身も世もないとは、まさにこのことか。
「悲しい」とか「憤り」とか言った概念すらここにはない。
絶望でさえ希望の対概念でしかないとすれば、ここにあるのは本当の無色透明の虚無。
主旋律の弦よりも、チェンバロとオルガンに耳を奪われる。
まるで鉛の棒を呑まされるように響く低弦。
気持ちゆっくりのテンポ、常に足元を「見えない何か」にわし掴みされているように不安げなフレーズ。
雨降りの出勤中に聴いて心危なくなるのだから、落ち込んで酒飲んでる時なんかに聴いたら、絶対あかん。
それくらい恐ろしい。
威風堂々のテンポ設定が異様過ぎる……しかしそれを必然であるかのように聴かせてしまう恐るべきケーゲル。(汗
繰り返される急加速と急減速。
普通なら、行進曲としてあるまじき姿。
でも受け狙いや効果を期待しているのではなく、何かに取り付かれたような鬼気迫る空気が支配する。
素っ気ないくらいサクサクと進む中間部。
サーカス・ポルカにおける「軍隊行進曲」の引用のグロテクスさ。
シニカルとはこういう事か。
他の曲も逸品。
特に2~5曲目で見せる透き通った美しさは、他では代えがたい。
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