通勤ミュージック~0905212009/05/21 23:47:08

*ベートーヴェン:交響曲第3番・「プロメテウスの創造物」序曲・「エグモント」序曲(ケンペ/ミュンヘンpo)

いよいよエロイカ。
個人的にはベートーヴェンの交響曲で一番好きだし、人生で一番最初に聴いた交響曲でもある。

また、あくまで主観だけど、ベートーヴェンの交響曲の中で一番演奏解釈が難しいのでは、と感じてる(第九よりも)。
素材を凝縮させるのではなく、拡大していくことによってもたらされるスケール感と、「飛躍」の交響曲でありながら、随所に見える対位法やバロック的な処理をどう両立させるか。
もっと簡単に言えば、アポロンとデュオニソスの両立しうる曲を、どう料理するか。

ケンペは、もちろん過度にドラマを強調することはしないけれど、これまで聴いてきた4曲とはひと味違って、爽やかな中にもキビキビとした運動性を前面に出してる。

しっとりと響かせる冒頭の2音にこそ、これまで同様の「大人」感は残っているけれど、勢い込んだTp.や、恒例の木管強調による隈取りが、この曲の「新しさ」を自然と意識させる。

ドラマより「うた」を意識させる1楽章でも、そのしなやかな若さが心地よく、曲想にフィットしていて心地よい。
とは言え、さすがは巨匠、展開部途中の弦の刻み(280~284)でテンポを心持ち落としたり、コーダのTp.はもちろん旋律なぞりだったりと、ツボを押さえてくれるのもまた快感。

……これまたあくまで主観だけど、コーダのTp.なぞりは、「改変」ではなく「教養」に近いとボク自身は考えている。
完全古楽器のピリオド解釈ならいざ知らず、モダン楽器なら(そこにピリオド解釈を反映させていても)ここの4小節でテーマを吹き鳴らすことは、ちっとも恥ずかしくないと思うのだけど。

閑話休題。
一つだけ惜しいのが、再現部直前のHr.のソロ。
あまりに音量を抑えすぎて、音が痩せてしまっていること。
ていうか、1楽章は全体的にもっとHr.きかせてもいいなぁと感じる。

2楽章は非常に端正。
大見得や大泣きとは無縁の、ノーブルな解釈。
Timp.の打ち込みも、柔らかめのマレットで、決して突出しない。
そのため、若干食い足りないというか、薄味に感じなくもないけれど、一種の形式美というか、一本筋の通ったものがある。
そして当然のことながら、この楽章で活躍するOb.の透明感!
ホントにケンペは木管の人、だなぁとつくづく思う。

スケルツォは、Hr.がふんわりと美しく鳴っていて嬉しい。
ていうか、この楽章(のしかもトリオ)でHr.ダメだったら致命的なんだけど。(笑
がなったりしなくても、力感たっぷりのTimp.や低弦の懸命な弾きっぷりも◎。

溢れ出す気持ちをぶつけるような終楽章冒頭。
パッサカリア主題の呼応は常にくっきりしていて、呼び交わしや追いかけ合いの中でも、決して混濁したり埋没したりしない。
旋律主題を吹くOb.の澄んだ明るさ!(またか、と笑われるかもしれないけど)

211小節目からの転調する、疾風怒濤のような変奏の部分、ここがボクはホントに大好きで、はっきり言ってここを聴くためにエロイカを聴くと言っても大げさじゃないくらいスキ。(笑
ケンペは無我夢中、という感じでないのは想定通りだけど、フォルムを崩さない中で厳しい力感と迫力を見せていて満足。
音階で駆け上がるCl.が刻印されるように浮かび上がっているのも良い。

他の変奏でも、歌うべきところではしなやかに(艶っぽくはないけれど)、ピシッと決めるところでは厳しさを押しだし、変奏曲が陥りがちな散漫さからは無縁。
何より、流れずにキチッと弾いている弦の刻みが、この楽章(というか全曲か?)に一本芯を通している。
あとやっぱり、くどいけど木管。
最後の最後でもCl.の音階をしっかりと聴かせ、キチッとしたフォルムにある種の明るさという色を添えている。

フィルアップの序曲のうち、「プロメテウス」は小振りというか、若干肩の力を抜いた感じ。
「エグモント」は劇性を強調するよりも、抑えた筆致で、例えば冒頭の音圧も刺激的ではない。
主部に入ってからも、グッと思いを噛みしめながら、悩みつつ歩む人のような進行。
派手な隈取りはなくとも、それゆえにコーダの転調が空騒ぎではない本当の解決として響いてくる。