初聴き&09年抱負。2009/01/03 23:36:50

年末からHDレコーダの調子悪く、「クラシックハイライト」もBPOのジルべスターもVPOのニューイヤーコンサートも録画失敗。
……なんだか嫌な幕開けだな。(苦笑。

1~3日と冬休みだったのだけど、息子と遊んだり実家に顔出したりであまりゆっくりは出来ず。
深夜はつい映画見てしまうし(年末年始のお楽しみ)。

とりあえず初聴きはカラヤン/VPOの「こうもり」(ハイライト盤)。
序曲が60年代らしく、颯爽。
そうそう、悔しいかな(苦笑)カラヤンって09年もメモリヤルイヤーなんだよなー(没後90年)。

あとクラシック的には、いまごろ1年遅れで(爆)「のだめカンタービレ」スペシャルドラマ(欧州編)を鑑賞。
まあ、映画化も決まったし、むしろ今見るのがちょうどいいのでは……。(言い訳。

あ、ちなみにボクは「のだめ」全くOK派(原作・アニメ・ドラマすべて)。
ていうか、個人的見解を言えば、あれに悪口いう人って「ムジツィーレン」の何たるかが分からない人じゃないの?とさえ思う。
何より、結構選曲のツボとか押さえてるし。
クラシックの知識ある程度あれば、なおさら面白いと思うけど。

閑話休題。
メモリアルといえば、今年はハイドン・メンデルスゾーンがそれぞれ正没200年。
ちょっと意識して聴いてみるのも面白いかも。

とりあえずメモ書きの域を出ないけど09年の抱負。
・未聴盤の更なる消化。
・同種異演を増やすのもいいけれど、初聴曲ももっと。
・それによる弱点克服。特にオペラ&室内楽。

まああまり壮大に広げると危険なのでこのくらい控えめに。
とは言えブログ的には08年は助走(序奏?)だったと思ってるので、今年はもっと意欲的に色々できればと考えてる。
……ま、負担にならない程度に。(苦笑。

追記。
今日の深夜映画は「戦場のピアニスト」。

更に追記。
カラヤンの09年メモリアルは、「没後20年」の誤り。
申し訳ありません……。(汗
レニーファンゆえの他意があったわけでは決してございません。(苦笑

通勤ミュージック~0901042009/01/04 18:00:56

本日から仕事始め。
別に普段からローテーションの不規則な仕事しているので、正月明けとはいえ、別に「もう仕事か」とはあまり思わないけど、まあやはりこういう日には元気の出る音盤の方がいい。

*ガーシュウィン:パリのアメリカ人、ラプソディ・イン・ブルー、交響的絵画“ポーギーとベス”、キューバ序曲(デュトワ/モントリオール交響楽団ほか)

ボクはデュトワの熱心な聴き手ではないけれど、この音盤は「らしくなくて」面白い。
フランスものやロシアもので見せる精緻さやキレイさよりも、構えの大きさやダイナミックさを優先した感じがする。
特に「パリのアメリカ人」と「ポーギーとベス」。

と言いつつ、「ラプソディ~」は曲想からも、上記のデュトワの特長も生かされていて、これはこれで満足(特に中間部の品の良い歌わせ方!)。
しかもカットもない(みたい)だし、そこも魅力。
ロルティのピアノも、羽目を外すことこそ無いものの、フレッシュでいい。
ボク自身が愛聴している音盤は、「弾き振り」(レニー、プレヴィン、T.トーマス……)がほとんどなだけに、逆にかえって新鮮に感じてしまうのかも。(笑

カットと言えば、「ポーギーとベス」、ずっとプレヴィン盤しか持ってなかったけど、冒頭ってこんな風に静かに始まるのがホントなのか??
演奏自体はプレヴィン盤の方がイキが良くてスキだけど(苦笑)、この曲好きだし、もっと揃えなきゃな。(いきなり新年の抱負違反か?笑

「キューバ序曲」はもう少しノリノリ~少々乱れるくらい~の方がいいかな……とも思うけど、まあそれはデュトワに求めるべき味ではないわな。

モダンなバロック。2009/01/07 17:12:47

なんとなくすっきりしたモノが聴きたくなり、年末に買った中から、バッハの「音楽の捧げもの」をチョイス。

リヒター、ニコレ、ビュヒナー、グントナー、マイネッケ、キスカルト、ビルグラムという7人の演奏。
リヒターは奏者としてはチェンバロを少し弾いているだけ。
しかし、この50分弱にみなぎる「リヒターらしさ」!
全体の目配り(指揮)をしているのから当然といえばそうなのだけど、人数が少ないだけに一層その感を強くする。
聴いているこちらの背筋がピンと伸びる。

かといって窮屈であったり、理屈っぽかったりするわけではない。
最初のリチェルカーレから最後まで、「行程が見えている」と言えばいいのだろうか、王の主題が常に目に見えるように聴こえてくる。
フーガやカノンなら当たり前といえばそうなのかもしれないけど、そう出来ている演奏って意外とないんじゃないか?
リヒターのバッハやヘンデルとかが今でも大事に聴き継がれている(よね?)のは、そういったところがキモなんだと思う。

ボクがクラシックにドンドンはまっていった中高生のころに、ちょうど古楽器のブームが来て、モダン楽器のバロック(古典派さえ?)なんて、まるで無知な行為であるかのようなムードがあったけど、個人的にはどうもなじめなかった。
そのせいか、棚を見渡してもほとんど古楽器の音盤ってない(それはそれで不勉強だとは思うけど)。

結局そのムードも一時のもので、今はその考察をモダン楽器にも取り入れつつ……なんて感じが主流になっているので、あの頃頭でっかちにならなかったのは正解だったのだろうか。(苦笑

もちろん学問としての奏法研究や楽譜の考察というのはすごく大事で、決して無駄なものではないのだけど、結局のところ、「聴き手」である我々にとっては、「そこから何を見せて(=魅せて)くれるか」が大事なわけ。
要は精神論になるんだろうけど、「つまらんものはいらん」わけですよ。

だから、繰り返しになるけれど、リヒターやミュンヒンガーが作っていたものって、少なくともボクにとっては全然色あせていないし大事なものばかり。
もっと踏み込んでいけば、ストコフスキーのバッハってどうよ、という話にもなるし、メンゲルベルクのマタイは、てことにも通じる。

なーんて事を書きながら、次にレニーのヴィヴァルディの協奏曲集を聴いてると、「四季」でレニーがチェンバロをド派手にノリノリで装飾しているのが耳に飛び込んできて、これこそ「ムジツィーレン」だなぁーと、思わず笑ってしまったのだった。

「面白ければいいやん」「楽しければいいやん」と言い切ることの強さ。
もちろん楽曲の持つ性格にもよるから、どれでもそれが正しいとは言えないけれど。
「考えない音楽」は良くないけれど「考えすぎる音楽」はもっと良くないよな、てことか。

……なんだかとりとめなくなってしまった。反省。

サヴァリッシュ/SKDのシューマン。2009/01/11 01:11:37

またまた年末買った全集から。
やっぱね、「買ったらすぐ聴く」が未聴盤を減らす良策の一つだと思いますわ。(笑
と言いつつ、正確には4番以外は持っていたので「未聴」とは少しニュアンス違うんだけど。(苦笑

ほかの3曲もずいぶん久しぶり。
て言うか、あまり面白みない印象があったので。
ところが……改めて聴いて猛省。
そりゃ名盤って言われるだけのことあるわ!

確かに折り目正しい生真面目さが前面に出ていて、手練手管は全くといっていいほどない。
「春」の終楽章とか淡々としすぎかもしれない。
2番なんかは、どうしても曲を支えきっていない感じもする。

でも何がすごいって、全曲にわたって「楽器」の音を感じさせないこと(ショルティ盤とは対極か?苦笑)。
どのパートも、楽曲の血肉となって不可欠の存在になっている。
「そこにその音がある」意義がある。

それを一番象徴しているのがTimp.。
ゾンダーマンの演奏がまるで背骨のように各曲、そして全集全体を引き締める。
奏法も音も存在感も全てひっくるめて、まさに理想のTimp.。
特に「ライン」は、もう曲の流れに身を委ねているだけで幸せすぎる!

サヴァリッシュも、「生真面目」って書いたけど、今回初聴きの4番では終楽章でちょっぴり大見得切っててなかなか良い。
でも自己主張がはみ出る感じではなく、最後もあまり加速せず、どっしりと締めくくる。
ほかの曲だって、明晰な統率力が光ってる。

ルカ教会の残響豊かな録音がすごくふくよか。
SKDの音の伽藍、まさに大聖堂を仰ぎ見るような感覚。
「全集」としての平均値は凄まじく高い。
何回も何回も聴いても飽きないし。

……しかし、聴くこちらの立場や年齢、経験値が変わっているのもあるけど、ホント学生時代って、有り体に言えば爆演・熱演タイプの演奏や音盤にひかれ過ぎだったなぁ。

もちろんそういった演奏は今だって好きだし(無個性よりははるかに良い)、熱い感動をくれることも多いけど、最近はどちらかといえば「旨味」や「職人芸」的なものに強く引き付けられるのを感じる。

ケンペやクーベリックがすごく好きになってきてるのがその証かな。
しかもこの2人、実演では燃えるとこが共通しているし。(笑

通勤ミュージック~0901132009/01/13 21:45:28

*ロドリーゴ:アランフェス協奏曲、ある貴紳のための幻想曲 ヴィヴァルディ:ギター協奏曲ニ長調 バッハ:シャコンヌ(イエペス、アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団ほか)

年末購入、順調に消化中。(笑

アランフェスは、自分の中ではそんなにたくさん集める類の曲ではないかな、という思いがあって、これがまだ2つ目。
それがド定盤なんだから不思議ですわな。(苦笑

スペインは情熱の国、てのは定番というか手垢のついたフレーズ。でもこの音盤からは、そんなステレオタイプの表情は全く聴かれない。
もちろん暗いわけではなく、からっと抜けるような明るい音や明瞭なリズムにラテンの色を見て取ることは確かに可能。

でも、個人的により強く感じるのは、内省というか内観というか……とにかく自分の音と向き合うようなイエペスのスタイルの一貫性。
それこそ陳腐と言われそうだけど、ある意味日本人好み、という感じがする。

だから有名な2楽章も、感傷の海に溺れるようなことはなく、凛とした空気が支配している。
それは決してこの曲の魅力を減じるものではなくて、むしろ深々とした味わいがあって素晴らしい。
長い間「決定盤」の名を冠しているのも、そういったゆえんじゃないのかな。

そしてその思いは、最後のシャコンヌで一層強くなる。
この曲のアレンジ版って、とかく「見せ場」的になりがちだけど、当然そんな感じは一切なし。
かといって周りを拒絶するような厳しさというわけではなく、ギターの、そしてバッハの世界に静かに向かうイエペスの音が清々しい。
変な例えだと笑われそうだけど、「只管打坐」という言葉が頭に浮かんだ。

ただ誤解してほしくないのは、決して愉悦に欠ける演奏ではないということ。
アランフェスの両端楽章や「ある貴紳~」、そしてとりわけヴィヴァルディではギターという楽器の持つインティメートな温もりがすごく伝わってくる。