好きな「作曲家」とは。2009/01/16 04:01:26

「自分にとって好きな作曲家って誰だろう?」

なんてことを、オーマンディのチャイコフスキー初期交響曲集を聴きながら改めて考える。
(……あ、この音盤↑については近々書く)
まあここをご覧の皆さんは、大半がボクのことをご存知だろうから、即答で

「 チ ャ イ コ フ ス キ ー ! 」

と言うだろうな。(苦笑

全くその通りで、チャイコフスキーのない人生なんて、ボクにとっては一生禁酒を言い渡されるのと同じくらい耐えられない。
だったわざわざ考えることもないやん、と言われればそうなんだけど、ここで言いたいのは

「好き」って何だろう、てこと。

例えばチャイコフスキーは、もうメロディ、リズム、和声、管弦楽法、とにかく全てに虜で、ある意味「ひいきの引き倒し」的に愛してる(唯一のネックは歌曲やオペラがロシア語なことか。独仏伊だって咀嚼するのが大変なのに、やっぱそれ以上にハードル高いよな)。
特にシンフォニーはもう「どれをとっても外れなし!」と信じていて、初期3曲だってマンフレッドだって、十二分に魅力的で名曲だと大声で主張したい。(笑

まあ5番はちょっと事情が違って、余りに愛しすぎるてるから、理想の女性を追い求めるドンファンのごとく(?)100%の満足を求めるけど得られず永遠にさまよい続ける……みたいな状態なわけだけど(苦笑)、他の曲に関して言えば、よほどひどい演奏でない限り、どこかしら光って見えてとにかく愛おしい。

つまり分かりやすく言えば「大甘」な愛し方。
ラフマニノフもそれに近い「好き」かな。
だからこの2人の音盤って、ついつい手にとってしまうし、やっぱ購入率(&棚の占有率)高いのは紛れもない事実。

ただ、そうじゃない「好き」ってあるのではないかしらん。

というのは、自分が(あくまでボクが)一番理想的だと感じて惹きつけられる音楽美(あるいは流派?流儀?思想?体?)って、実は初期ロマン派。(意外ですか?
くくって言うのが乱暴なのはもちろん分かってるけど、ウェーバーの引き締まった響き、メンデルスゾーンの抜けるような美しさ、シューベルトの知性、シューマンのファンタジー……どれをとっても、ただひたすら、感嘆のため息が出るばかり。
とにかく「すごい……」その一言。

だけどそこで翻って棚を見ると、決して彼らの曲って「買い漁って」ない。
むしろ、自分の中でいい演奏にめぐり合えたら、その1枚でも十分、とさえ思うことが多い。
さっきのが「大甘な愛し方」(=あばたもえくぼ?)ならもう少しストイックというか、突き詰めた愛し方なんだろうか?(うまく言えてないな……)。

愛し方の方向こそ違え、「好き」には違わないわけで、何だかその辺りが不思議と言うか奥深いと言うか……そんなことを最近とみに思うので書いてみた。

こないだのバロック話と同じく、全然まとまりない雑文だけど。(汗
自分の論理構成力のなさに、若干あきれるとともに失望するな。(苦笑

追記。
マーラーについて。

自分としては好きな作曲家だと漠然と思っていたけど、棚の占有率って意外と低い。
1番とか5番は間違いなく自分にとって大事な曲(実際音盤も割と多い)だけど、7番なんかそうか?と改めて考えると、ちょっと違和感を感じる。

さらに言えば、自分にとって「マーラー」は「レニー」とイコール。
また暴論だけど、つまり、レニーのマーラーがあれば他はいらない、と言っても差し支えない。
(まあそれだけで映像いれれば3種の全集が出来るうえ、単発曲~主に海賊盤~も相当あるんだから、マーラーのライブラリーとしてはそれなりの数になるけど。苦笑)

つまり、自分にとって大事かつ好きなのは「レニーのマーラー」なんだな、としみじみ感じたわけ。
それをもってして「マーラーは好きな作曲家」てのは何か違うよね。
例えばマーラーのスコアって、見てると楽しいけど、美しいかと言われると違う。
批判覚悟で敢えて言えば、むしろその逆だと思う(もちろんそここそが最大の魅力なのは承知の上で)。

ウェーバー……例えば「オイリアンテ」序曲。
スコアの音列を見ているだけで、颯爽とした風が整然と吹き抜けていく。
とにかくあきれるほどに完璧!

1:どんな演奏であれとにかく好きで好きでたまらない=チャイコフスキー・ラフマニノフ
2:演奏よりもむしろ自分にとって理想?だから好き=ウェーバー・メンデルスゾーン……etc.
3:その演奏こそがその作曲家を生かしてるから好き=(レニーの)マーラー

まとめるとこうなるのかな。
何かそう考えると、苦手だと思ってたブルックナーはヨッフムの場合「3」に入る気もしてきたぞ。(苦笑

まああくまで今回は「作曲家」から見た「好き」だから。
楽曲本位だとまたベクトルが変わってくるし。

通勤ミュージック~0901172009/01/17 17:00:36

*チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」、第2番「小ロシア」、第3番「ポーランド」(オーマンディ/PhO)

大らか、艶やか、ふくよか。
とんがった響きや刺激的な解釈はなく、柔らかな語り口。
初期3曲の魅力を素直に伝えてくれる音盤として、カラヤン盤と並び、スタンダードとしてお勧め。

冬の寒さに身を置いて歌うのではなく、暖かな部屋から吹雪く外を眺めているかのような1番。
その分、2楽章の沈み込むような切なさは減じてるけど、温もりがある。

2番は3曲の中で一番いい。
1楽章冒頭の8分音譜、力任せとは無縁の(でも力感ある)アタックとそれに続くホルンのコク!
終楽章も乱痴気騒ぎになることなく(そのスタイルは、それはそれでありなんだけど。笑)、自然と熱を帯びて盛り上がる。

3番は若干もたつく感が少しあって(特に1楽章)、もう少し覇気があっても……と思わなくもないけど、もともとこの曲がある種持ってる難しさ(全5楽章をどうまとめるか)に起因する面もあるから、一概に解釈のせいとも言えない。
個人的にはカラヤン盤のように、多少強引なくらいのドライヴを見せると、この曲のシンフォニックな面が際だつんだけど、オーマンディのようなソフトアプローチだと、まるで5曲のバレエか組曲のように楽しむこともできて、それはそれで面白い(2・3楽章なんかはそのスタイルがはまってる)。

あと、随所で見られる改変が効果的。
3番終楽章のシンバル、2番終楽章のTp.の旋律なぞりなんかはすぐ気付くけど、もっと巧いのは1番。
1楽章のTimp.の3連譜、そして終楽章コーダ、チューバの低音補強!
後者の立体感は文句なし!(厚化粧に感じる人もいるだろうけど)

もうひとつ特筆すべきは、この音盤をはじめとする「ユージン・オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」シリーズの解説書が面白いこと。
楽曲解説はほとんどなく、かつてレコ芸に載った大町陽一郎氏とオーマンディのインタビュー再掲や、市川幹人氏というオーマンディのサイト主催者の解説(楽曲アプローチや録音データ中心)など、読み応えある。
こういうのだったら、日本盤買う意味あるよなー。

「フィラデルフィアの芸術」シリーズは何枚か(チャイコフスキー中心……苦笑)持ってるんだけど、改めてサイトとか見ると、何か全部欲しくなってくるわぁ。(もちろんダブるんだけど。

通勤ミュージック~0901192009/01/19 18:30:15

*モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」 ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容 フランク:交響曲ニ短調 ワーグナー:「ローエングリン」第3幕への前奏曲<アンコール>(クーベリック/BRSO)

1965年4月23日東京文化会館でのライヴ。
やはり「ライヴのクーベリック」は最高!

オープニングの「ハフナー」は鷹揚として、伸び伸びとウォームアップを楽しむかのよう。
弱音に拘らないデューナミクも、今どきだと批判の種なのかもしれないけど、祝祭的気分の強いこの曲なら別にいいんじゃないの、と思う。

ヒンデミットはとにかく明快。
シニカルでちょっとグロな一面があるこの曲を、見通しよく(良すぎるくらいな?)解釈。
終楽章のリズム感には目の覚める思い。

ただ、この盤で何といっても素晴らしいのはフランク。
個人的にこの曲がスキだからってのもあるけれど(笑)、出色の名演。
1楽章冒頭からただならぬ雰囲気に飲み込まれそう。
この曲で一番大事な(ここ重要!!)2楽章でも、真摯な「祈り」が心を打つ(それの欠ける演奏の多いことよ!)。
中間部(スケルツォ)が結構速いのには驚くけれど、テンポ操作が巧みで破綻しない。

むせ返るような熱気あふれる終楽章。
Timp.や低弦、Tp.の、ここぞとばかりに決めてくるプレイにしびれる。
でも、もっと心打つのは、2楽章の祈りの主題が最初に再現される際のダイナミクス!
心からの繊細さでスッと音量を落とし、耳と心が自然に惹きつけられる。
その後の弦による繰り返し音型の所でも、強弱を対比させる。
それがあるからこそ、結尾の「祈り」の朗々たる再現が、表面的なこけおどしでない真実味で響き渡る。

カラリとした「ラテンな」フランクも解釈としてはありだけど、個人的にはやはりこの曲では「高潔な祈り」を感じさせる方が好み。
その「祈り」を持ちつつ、しかし渋くなりすぎることなく熱演で、しかもしっかりと手綱を握りながらスケール大きくまとめ上げたこの演奏はトップクラス!

ただ、唯一気になったのは終楽章の「喜びの主題」のアーティキュレーション。
Tp.に顕著なんだけど、癖のある引きずり気味のレガートなのが気になる。
もっとマルカートの方がいいなぁ……。

アンコールの「ローエングリン」も爽快。
冒頭で金管が少し外してるけど、どうでもいいこと(ていうか、フランクであんだけ吹きまくった後にやってるんだし)。
この曲を単独でやる時って、結尾の形がいくつかあるけれど、この音盤はボクが一番好きなタイプだったのでそれも評価大。(笑

マイ初演。2009/01/23 23:55:14

生(演奏会)であれ、音盤であれ、放送であれ、どんな曲でも何かしら自分にとっての「初体験」というのはあるもの。

ボクはそれを「マイ初演」(笑)と名付けてる。
名前はともかく、これってすごく大事。
それによってその楽曲の第一印象が決まるし、ある意味刷り込みとも言える影響を大きく与えるから。
もちろん、細かいこと言えば、乳幼児のころに何か耳にしてるってのもあるかもしれないけど(苦笑)、あくまで自覚的に聴いた「初演」ね。

ボクは小学生からピアノをしていたけど、クラシック音楽に本格的にはまっていくようになったのは中学生から。
いきおい、色んな曲の「マイ初演」がその時期に集中している。

当時はちょうどレコードからCDに切り替わる時期。
とは言え、当時はそんな今みたいに(苦笑)音盤買いまくることは出来なかったから(高かったし)、FM放送のエアチェックだったり、図書館でレコード借りてきてテープに落としたり。

あと、中学2年の時の友人(寿司屋の息子)が同好の士で、よくCDをテープに落としてくれた(お父さん譲りの趣味だったみたい)。
もう10年以上会っていないけど、彼には感謝している。

閑話休題。

その「マイ初演」で体験した演奏が、自分の中でデファクトスタンダードになってしまうのはやむを得ない。
当時は同種異演をたくさん聴くなんてことはあまりしない(出来ない)し、同じの繰り返し聴いてたから。

いくつか印象的な「マイ初演」をメモ書き。

☆ベートーヴェン
交響曲第6番 フルトヴェングラー/VPO
→ 沈思黙考する「哲学の森」のような1楽章。そういう曲なんだと思ってしまった。払拭できたのは、ベタだけどワルター盤のおかげ。(笑

☆チャイコフスキー
交響曲第5番 シャイー/VPO
→ この曲に魅せられ、その後山ほど聴くことになるきっかけ(爆笑)。だから今でも大事な音盤の一つ。

☆シベリウス
交響曲第2番 レニー/VPO
→ 「田園」に書いたことに近いかも。その後どんな演奏を聴いても2楽章が「速く」感じる。(苦笑

ムーティ/フィラデルフィアのチャイコフスキー。2009/01/26 03:28:02

*チャイコフスキー:交響曲第4番 第5番 第6番 幻想序曲「ロミオとジュリエット」 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 序曲「1812年」(ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団)

5番と「フランチェスカ」以外は初聴。
5番が丁寧だけどサラサラ流れすぎて煮え切らないのが不満だったけど、それは4番と悲愴でも同様。

実は結構随所にアゴーギク見せるところもあるんだけど、それがなぜかくどくないというか……あまり共感を感じずにやってるのか?と邪推してしまうくらい響いてこない。残念。

ただ、悲愴の1楽章展開部の激走や、それを受けた再現部第2主題の快速なんかは「泣き」ではないものの面白い。
5番も久々に聴くと、2楽章の丁寧なつくりや1楽章の考え込むような遅さも悪くはないんだけど、平均点の域。

むしろこのディスクはフィルインの3曲の方が、颯爽とした熱気を振りまくムーティらしさ(&フィラ管のゴージャスさ)が出てていいと思う。

例えばロメジュリの主部の猛スピード。
フランチェスカの「非ドラマ性」。
たぎるような愛欲のドロドロはないけど、チャイコフスキーの「音楽だけで」勝負する感じは一つの主張として立派。

一番の出来は1812年。
「純音楽」としてこの曲をとらえる解釈サイドに立ってる演奏で、合唱なしであることがそれをより際立たせる。
かと言って渋いだけではもちろんなく、オケドライブの妙技(特に金管族のパワー)はここぞとばかりにと見せつける。

このテンションと勢いを、どうして交響曲の方でも発揮してくれないのかな……。