通勤ミュージック~0901192009/01/19 18:30:15

*モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」 ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容 フランク:交響曲ニ短調 ワーグナー:「ローエングリン」第3幕への前奏曲<アンコール>(クーベリック/BRSO)

1965年4月23日東京文化会館でのライヴ。
やはり「ライヴのクーベリック」は最高!

オープニングの「ハフナー」は鷹揚として、伸び伸びとウォームアップを楽しむかのよう。
弱音に拘らないデューナミクも、今どきだと批判の種なのかもしれないけど、祝祭的気分の強いこの曲なら別にいいんじゃないの、と思う。

ヒンデミットはとにかく明快。
シニカルでちょっとグロな一面があるこの曲を、見通しよく(良すぎるくらいな?)解釈。
終楽章のリズム感には目の覚める思い。

ただ、この盤で何といっても素晴らしいのはフランク。
個人的にこの曲がスキだからってのもあるけれど(笑)、出色の名演。
1楽章冒頭からただならぬ雰囲気に飲み込まれそう。
この曲で一番大事な(ここ重要!!)2楽章でも、真摯な「祈り」が心を打つ(それの欠ける演奏の多いことよ!)。
中間部(スケルツォ)が結構速いのには驚くけれど、テンポ操作が巧みで破綻しない。

むせ返るような熱気あふれる終楽章。
Timp.や低弦、Tp.の、ここぞとばかりに決めてくるプレイにしびれる。
でも、もっと心打つのは、2楽章の祈りの主題が最初に再現される際のダイナミクス!
心からの繊細さでスッと音量を落とし、耳と心が自然に惹きつけられる。
その後の弦による繰り返し音型の所でも、強弱を対比させる。
それがあるからこそ、結尾の「祈り」の朗々たる再現が、表面的なこけおどしでない真実味で響き渡る。

カラリとした「ラテンな」フランクも解釈としてはありだけど、個人的にはやはりこの曲では「高潔な祈り」を感じさせる方が好み。
その「祈り」を持ちつつ、しかし渋くなりすぎることなく熱演で、しかもしっかりと手綱を握りながらスケール大きくまとめ上げたこの演奏はトップクラス!

ただ、唯一気になったのは終楽章の「喜びの主題」のアーティキュレーション。
Tp.に顕著なんだけど、癖のある引きずり気味のレガートなのが気になる。
もっとマルカートの方がいいなぁ……。

アンコールの「ローエングリン」も爽快。
冒頭で金管が少し外してるけど、どうでもいいこと(ていうか、フランクであんだけ吹きまくった後にやってるんだし)。
この曲を単独でやる時って、結尾の形がいくつかあるけれど、この音盤はボクが一番好きなタイプだったのでそれも評価大。(笑

ナイトキャップ~0811232008/11/24 04:40:02

*ワーグナー管弦楽曲集(テンシュテット/BPO)
歌劇「タンホイザー」序曲
歌劇「リエンツィ」序曲
歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲、第3幕前奏曲
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲

ズブロッカをガブ飲みしながら、つらつら考えてると、無性にワーグナーが聴きたくなった。
酩酊とワーグナー、これほど相応しい組み合わせがあろうか?

このスタジオ録音は、やや硬さを感じるけれど、凡百のサラリーマンのような指揮者に比べれば、遙かにワーグナーの魔性を表出している。
魔性のないワーグナーなんて、酒のない人生みたいなもの。

早死にが惜しまれる演奏家はいっぱいいるけど、テンシュテットは色んな意味で、昨今珍しい枠にはまらないタイプだっただけに早世がもったいない……て書きつつ、気付くともう没後10年か。(タメイキ

ローエングリン第3幕前奏曲とマイスタージンガーは若干やりきっていない感があるので物足りないけれど、煮えきえならいような開始のくせに、いきなり途中から燃え上がるタンホイザーとリエンツィ、そしてひたすら聖杯の美しさしか見えないローエングリン第1幕前奏曲。
この3曲は素晴らしい。

この音盤、久し振りに聴いたけど、テンシュテットのワーグナー、歌劇(楽劇)全曲も残っていればと、もったいない気持ちでいっぱい。
久し振りついでに、「指環」の管弦楽曲曲集も聴くか!

ワグナー・アーベント(マタチッチ/N響)2008/11/14 20:17:26

ようやくタイトルに音盤名の日記が登場。

つまりは、家などの落ち着いた環境で音盤聴いた時にはそうしようと、ブログ開設時から思っていた。
ちなみに「ナイトキャップ」はつまみ聴きが中心、という区分けが一応自分の中にはある(あと酒飲んでるのが大きい要素か?笑)。

75年12月のライヴ、Altus盤。
いやはや凄まじい演奏だった。
生で聴いてたら泣いただろう。

とっつきにくい「パルジファル」が、優しく美しく心と耳に滑り込む。
何という完成度。
「難しい」と思っていた自分を恥じたくなる。

そして続く「指環」からの3曲!
通勤時にも聴いていたので「通勤ミュージック」で書こうかと思ったけど、それでは余りに物足りなくて家でも何度も何度も聴く。
こんなにリピートして聴いた音盤は久しぶり。

「森のささやき」、長閑さといじらしさの奇跡的な共存。
N響がこんなに潤いのある音楽を奏でるなんて!

そして「神々の黄昏」組曲。
音と情念の波に奔流されるばかり。

ボクは「ジークフリートのラインへの旅」が大好きなんだけど、ずっとクナを超える演奏がなかった。
あの悠揚迫らぬ「神目線」の音楽運び。
ブリュンヒルデと愛を歌い交わしても決してテンポを上げず、ライン川を越えるときもそれを保っているから、音が目前に大河となって見える……。

今回のマタチッチの演奏はクナに並んだ。
どっちが良いとか悪いじゃない。
そりゃオケの技量はVPOが上だろう。
N響はライヴということもあって金管がだいぶ落ちているし。
でも、そんなことなんてはっきり言ってどうでもいい。

マタチッチの演奏は、クナの解釈に近いなと感じるところ多いのだけど(確かそういったことを実際語っていたはず)、大きく違うのは「神目線」ではなく「人目線」なところ。

つまり、クナのように「全ての悲劇を前もって知ってる」目線で解釈するわけではないから、そこに雄大さと物語への温かな情愛が透けて見える(ちなみにクナが「冷たい」わけではありませんので誤解ないように)。

さらに「人目線」でもフルトヴェングラーみたいに猛加速して音楽から「神話性」がなくなってしまうのではなく(この汗くささ、ワグナーでは致命的ではと思うんだけど)、人間としての限りない共感をジークフリートたちに寄せつつ、決して無為に没入して乱れることはない。

それがTp.によるジークフリート動機の連呼の加速に息づいている。
クナと違っていわば「普通に」加速するのだけど、それは全然フルトヴェングラーのそれとは意味が違う。
音楽が流れる「呼吸」としての加速であり、物語としての「加速」。

ここを初めて聴いたとき、ホントに騒がしい駅改札口だったのだけど、落ちまくってる金管をものともせず、揺るぎない音像と解釈が聞こえてきて、本当に鳥肌が全身に立った。

やっぱり一本筋が通っているときの演奏解釈における傷なんて、傷ではないんだ。
こう言うのを修正することは、絶対に「改悪」だと思う。

「ジークフリートの死/葬送行進曲/フィナーレ」も同様。
そりゃこれだって、崇高さや金管群の神がかったプレイはクナ/VPOの方が買ってるとは思うけど、何といってもマタチッチ盤はその流れでフィナーレまで突き進むのがいい。

まさにライトモティーフの共演(=競演、饗宴)であるこの曲で、それらが全て「語って」くるその説得力。
ワルキューレの動機、英雄の動機、炎の動機。
そして最後のラインの乙女の歌!! 目が潤むのを感じた。
木管の音程が悪い? んなことどうでもいい。
バイロイトにも引けを取らない(イヤ、勝ってる?)ワグナーが鳴り響いてるんだから。

マタチッチの「指環」全曲って録音残ってないのかなぁ……。